■戦艦の臀部



さて、せっかく後部甲板に出たので、一番後ろまで行ってみましょう。
うーむ、しかいいい天気だ。
戦艦なんか見てる場合か、と再度考えるも、まあいいか。

この辺りは着水した艦載水上機を海面から引き上げるクレーンがあった場所で、
ベトナム戦争の改修時までは残ってました。
おそらく旗棹の下、他の甲板部と異なる色の四角い場所がその台座跡。

ちなみにご覧のように後部にも鎖で繋がった錨があるんですが、
これは金具に引っ掛けてあるだけで巻き上げ機がありません。
出港の時はワッセワッセと人力で巻き上げてたんでしょうか。

ただし古い写真を見ると通常はここに錨をつないでませんので、
こういった長期停泊とか、特別な場合でのみ使ったものかも。



で、後部には2基の40mm銃座の砲座基部が残ってました。
手前と右側にある円形の穴がそれで、
今私が立ってるあたりに射撃管制装置があったはず。

ただし艦橋周辺の40mm機関砲用のレーダー付きのとは異なり、
目視で目標を追いかけるタイプのもので、
無いよりはマシ、という感じの射撃管制装置ではありました。

ちなみに後部甲板は、ベトナム戦時にヘリ甲板にしてしまったさい、
木板を剥がしてしまったんですが、
なぜかこの最後尾だけはそれが残されてます。



そこから例のテントを通り抜けて第三砲塔の前に出る。
ここら辺りは鉄板むき出しです。
これは例の37mm爆弾装甲板のはずで、
そのおかげでそのままヘリ甲板にできる強度があったのかも。

で、ここにはヘリの展示もありますが、
アイオワ級の場合、ヘリポートはあっても格納庫がないので、
常備されていたわけではありません。

あくまで他の艦などから連絡や補給で飛んできて着艦できる、
といったレベルの施設だったはず。

余談ですが、右側に見えてるのもまたゴミ箱。
9.11テロの記憶が残っていた2000年代前半は
テロ対策としてアメリカ中からゴミ箱が消えてえらく不便だったのですが、
今回、東京とは比べ物にならないくらい、あちこちで見かけて、
アメリカも変わったなあ、と思ったり。



こちらのヘリコプター、解説が見つからなかったのですが、
おそらくカマン(Kaman)SH-2Fでしょう。

先にも説明したように、整備、収容施設がないため、
ヘリが常備されていたわけではないのですが、
一種の展示上の演出なんでしょうね。

ちなみにこのヘリコプター、主脚が折りたたみ収容されるのですが、
あのまま前に押し上げるだけ、というやや投げやりな構造で(笑)、
最高速度で280q前後とされるこの機体、そもそも固定脚でよかったんじゃ…。



それを後ろから見るとこんな感じ。
露天駐機の場合、ローターをこういった固定具で保持してたようで、
これは初めてみました。


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