■艦橋のてっぺんで



その戦闘指揮所を正面から。
これが精いっぱい離れた状態で、戦闘指揮所は
ほとんど装甲司令塔によって占められているのがわかるかと。
(ただし後部には結構広い空間がある)

ついでに正面覗き窓に付けられた分厚い防弾ガラスは、
先に見た内部のハンドルで上げ下げします。

左に見える取っ手は、下の航海艦橋から上がってくるハシゴのためのもの。
床に航海艦橋の天井から繋がるハッチが見えてますね。

余談ですが、新型戦艦10隻以外はよう知らん、と書いた
装甲司令塔の構造ですが、調べて見たら1912年に運用開始された
ワイオミング級の2隻から既に採用されてました。
よって第二次大戦に参戦したアメリカ戦艦は
全てこの構造を持っていたようです。
(それより古いUSSユタが生き残っていたが主砲無しの
対空砲練習艦だった上に、真珠湾で沈み、
復活にも失敗してるから参戦してない)

でもって、どこまで古いのかと思ってさらに調べ見たら、どうもこれ、
いわゆるド級戦艦、イギリスが1906年から運用した
ドレッドノート級戦艦から見られる構造のようで、意外に古い伝統みたいです。
ドレッドノート級の場合、側面装甲で300mm前後だったようですが。

余談ですが日本の戦艦にも、
アメリカの装甲司令塔に近い構造があります。

これは最古参艦だった1913年就役の金剛からすでにあり、
230mm前後の装甲を持つ司令塔が、当初はむき出しに
艦中央に存在してました。
ただし、なぜか操舵室などはこの外にあり、
戦闘指揮所のみがここに入ってたように見えますが…。

が、後に改修を重ねた結果、住宅街に飲みこまれた
畑のごとく、巨大艦橋に飲み込まれてしまい、
大戦時の写真ではどこにあるのか(撤去はされてない)
判別するのも困難になっています…。



日本の戦艦で、装甲司令塔の判別が比較的容易なのが
大和型戦艦です。

副砲の後ろ、艦橋下ににある、背の低い塔、
覗き窓の開いた円筒構造物がそれで、
この中に操舵室などが入っていたようです。
が、これじゃ前が見えませんから、イギリス艦と同様に、
艦橋からの指示に従って操舵していたのでしょう。
…という事は、日本の戦艦も艦橋に操舵輪がないって事ですか。

ついでに、装甲司令塔の外(上)で2つに分離した艦橋と、
その屋根上(屋上)にある(防空)戦闘指揮所など、
同世代のアメリカ新型戦艦と大きく配置が異なる
大和級における背の高い艦橋構造の特徴を見ておいてください。

ちなみに1922年のワシントン海軍条約発効以前だと、
アメリカの戦艦でも、司令塔の後部に
通天閣のような物見櫓が組まれ、
日本と同じ背の高い艦橋構造となっていました。

が、レーダーによって人の目を高い位置に置く必要がなくなった結果、
艦の頭脳といえる艦橋と戦闘指揮所を、
全て低い位置に、つまり装甲司令塔の中に入れてしまうことが可能になり、
その生存性は格段に高くなったのです。
(重装甲の司令塔は重量の限界と重心位置の関係から高くする事はできない)

アメリカが採用した新しい、背の低い艦橋構造は、艦の頭脳ともいえる
航海艦橋、艦隊指揮艦橋、さらには戦闘指揮所を
全て装甲司令塔の中に押し込んでしまうのが目的だったわけです。
これによって戦闘中にそれらが失われる可能性を極めて低くでき、
その分、戦闘時の生存性が高くなるわけです。
まあ、人の眼による監視、照準が不要となるほど
各種レーダーが実用レベルに達していた
アメリカだから許された設計、と言う事もできますが…。

この点、大和級のように艦橋部が完全に装甲の外(上)にある戦艦では、
艦橋構造に主砲の直撃を食らうと、
一発で艦の戦闘能力が失われる可能性が高くなっています。
個人的には大和の装甲司令塔はイマイチ、意味が無いような気も…。

ちなみに私の知る限り、当時日本側でアメリカ戦艦の新しい
スタイルの持つ意味を理解していた軍関係者は存在せず、
それどころか21世紀でもほとんど居ないと思います(笑)。

ただし、艦の主要部が健在でも、
射撃管制装置など、この外にある部分がやられた結果、
戦闘不能に陥る事がある、というのをソロモン夜戦で
新世代艦中の1隻であるUSSサウスダコタが経験する事になるんですが…。

それでもこの点は、
アメリカの新世代戦艦の優れた特徴の一つでしょう。



戦闘指揮所の屋根に取り付けられた外を見るための潜望鏡。
ハッチの上についており、このハッチを開けて、外を見ることも可能でした。

その左についてる金色の円筒形のものは正体不明。

左端の潜望鏡は、下の航海艦橋用のものでしょう。

左奥に見えてる白いT字型のものは航海用レーダーの高周波アンテナ。
夜間や荒天時に周囲の地形や船を避けるためのレーダーです。
が、普通、360度の視界が必要な航海レーダーを
こんな周囲により高い構造物がある場所にはつけません。

はい、これは間違い、というか博物館になった時に
適当に取り付けられてしまった民生用の航海アンテナで(笑)、
オリジナルではありません。
おそらくレーダーアンテナを紛失してしまったかで、
とりあえず取り付けてしまったものでしょう。

本来は横長で少し湾曲した、
魚焼き網のようなMk.27 スタンバイ(Standby) レーダーが取り付けられていました。
これはその名の通り、予備のレーダーで、航海用レーダーではありません。
これは、この戦闘指揮所から直接使用でき、
射撃管制装置に不具合が生じたときの予備レーダーでした。

ただし、あくまで予備の小型レーダーなので、距離誤差が最大で150m前後、
方位誤差に至っては6度を超えていました。
距離に関しては目視の測距儀よりは正確ながら、
方位に関しては使い物にならないレベルで、
この点は目視による方位測定と着弾水柱の観測が必須だったと思われます。

参考までに、大戦中のアメリカ海軍の主力射撃管制レーダー、
MK.8は距離誤差は最大で5m以下、方位誤差2mil(0.114度)以下という
桁違いの正確さで、当然、肉眼による測距儀では、
その足元にも及ばぬ、というレベルになっておりました。
ただし、故障も多かったのですが(笑)。

アメリカの戦艦が、2基の射撃管制装置を搭載してるのは、
もしかしたら、レーダーの故障対策、という面もあったかもしれません。



その横からレーダー塔を見上げる。

前にも書いたように、艦橋とは別構造になった
この高いレーダー塔が第二次大戦期における
アメリカ新型戦艦の特徴の一つです。
人の目ではなくレーダーでの索敵、
射撃照準まで行なうのが基本となったアメリカ海軍の象徴でもあります。

ただし写真で手前に見えてるパラボラアンテナは例のMk.37照準装置で、
レーダー塔とは別物なので、注意してください。

このアンテナ塔、本来はもっとシンプルで細身だったのですが、
ベトナム戦争時代以降、さまざまな装置が追加されて、
ずいぶんとゴテゴテしてしまいました。

上の方にある左右の四角い箱状のものは、
ベトナム戦の時に追加された電子戦装置のあった場所で、
現在のものはおそらく1982年の近代改修で取り付けられたもの。
ただし、これに関しては資料が見つからず、正体不明です。
で、この箱状の部分の上に乗っているのが、
以前に紹介したAN/SLQ-32電子戦装置なので、
もしかしたら、それに関連するものかも。

射程距離が30qを軽く超える戦艦主砲を撃つには、
当然、30q先まで見える高い塔が必要です。
(ちなみに人間の身長に近い2m前後だと5q先くらいまでしか見えない)
この結果、戦艦の主砲の射程距離が伸びるに連れて、
艦橋はどんどん高くなって行くわけですね。
(相手の艦橋も高くなった結果、40m前後の高さで40q前後先の
敵戦艦まで見つけられるようになったが)

が、人間の眼ではなくレーダーが主なら、
レーダー用の塔があれば済むじゃん、
そこに最低限の監視所があれば良いよ、というのが
新世代アメリカ戦艦の基本的な考え方なのです。

その結果、上で書いたように、
ノースカロライナ級以降の10隻では、その指揮系統の主要部を
安全な装甲司令塔の中に入れてしまう事に成功したわけで、
アメリカの新型戦艦の生存性は、大きく高められたといえるでしょう。

そこら辺りまで理解したうえで、あらためてこの塔を見ると、
アメリカ新型戦艦の象徴、というのが感じられるかと。



とりあえずという感じながら、
装甲司令塔外部にも電話や計器類が取り付けられてます。
砲撃戦が始まってからでも着弾まで1〜3分はかかりましたから、
装甲塔内に避難する時間は十分あり、
それまではここで指揮をとったのかもしれません。

ただし、主砲の発射引き金はここにはなく、
あくまでそういった操作は装甲指揮塔の中でやったようです。

左端の4つのメーターは4軸あったスクリュー軸の回転計で、
こんなものまであったという事は、
やはり戦闘時の操艦指示は戦闘指揮所で行ったようですね。

となると、戦闘時の操艦指示の権限は、
艦長ではなく砲術長に移るんでしょうか。
それとも、戦闘時は艦長もこっちに来たのかしらむ。



そこから艦首方向を見る。
なんだか意味もなく偉くなったような気分になれます(笑)。
向うに見えているのはベンジャミン・フランクリン橋。

手前に見えてる鉄板は、艦橋の窓の上に取り付けられたもので、用途不明。
日除け、あるいは戦闘中は下に倒して艦橋の保護かと思ったんですが、
どちらの用途にするにも、ちょっと艦橋のガラス窓から
離れた位置にあるんですよ。
ちなみに、理由は不明なれど、アイオワ級4姉妹のうち、
長女のUSSアイオワだけ、この部分の構造が他と異なります。
興味のある人は調べて見てください。

第二砲塔の上の数字はニュージャージーの登録番号
BB62の62で、航空機から識別するためのもの。
(着艦するヘリコプターが間違えないようにするため?)

当然、朝鮮戦争までここには40o機関砲砲座があったので、
これが書かれたのはベトナム戦争中、
写真で確認できる限り、1969年以降のようです。

ついでに、USSニュージャージーのお姉さんにあたる
BB61 USSアイオワは朝鮮戦争の段階で、
第一砲塔に61の数字を入れ、二番砲塔の上には星条旗を描いてました。
対してUSSニュージャージは、ベトナム戦争末期になるまで、
そういったものはなく、この番号記入は
海軍の正規の規定ではないのかもしれません。


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