■おじいさんのCEC



ホットラインの電話とモニタ、となると、どうやらなんらかの司令室らしい。
ひょっとして改造後に作られた戦闘指揮所、CICか?
などとやってるうちにオーストラリア夫婦が立ち去り、
案内のおじいさんが、やあ、あなたはどちらから?と聞いてくる。

日本アルヨ、と答えると、
おおオレはこのUSSニュージャージーでマッカーサーの居る
日本に行ったよ、ヨコスカに居たんだ、と言うのでちょっとビックリ。
1945年の日本にって一体何歳ですか?と思って年齢を尋ねると、
84歳だと言うので、あれ、計算が合わない。
すると、アタマの悪そうな日本人が、さらにアタマが悪そうな顔になった、
と心配になったようで、第二次大戦の時じゃないよ朝鮮戦争の時さ、
と大笑いしながら、教えてくれる。

で、当時のアルバムを出して来て朝鮮で流通していたお札とか、
日本語のタバコの箱とかを指差して、何を書いてあるのか教えてくれ、
というので、一通り通訳のような事をする。
つーか、朝鮮戦争時まで日本占領時代のお金が使えたんだと初めて知る。

で、ここはCICアルカ?、と尋ねると近代改修した戦艦では、
CICという呼び方はしないよ、Combat Engagement Center、
(交戦時戦闘指揮所)の略でCECと呼ぶのさ、と教えてもらう。

へー、今時のアメリカ海軍はそう呼ぶのか、と思ったのですが、
実はおじいさんの言葉は極めて正確で、
どうもアイオワ級の改修戦闘指揮所のみが
この呼称になっていたようで、他では使われない用語みたいです。



ここには交戦時戦闘士官(Combat Engagement officer) という指揮官が居て
戦闘の指揮をこのCECで執るのさ、という話。
あれ、じゃあ1982年の近代改修後は主砲と副砲の射撃指揮もここアルカ?
という疑問を尋ねてみたのですが、残念、その解答は
私の英語力では半分もわかりませんでした…。

そうだよ、と言ってるらしいのまではわかったのですが、
ここで全部をやっていたんじゃないよ、的な事も言っていたので、
詳細はよくわかりませぬ(涙)…。
とりあえず近代改修後は、
さすがに屋上の戦闘指揮所は使ってなかったようです。

とりあえず写真は、警戒用レーダーの操作盤だそうな。



なるほど、典型的なPPIスコープで、警戒用レーダーですね。

さすがにレーダーは回してませんでしたが、電源は生きており、
よく保管されてるなあ、と思ったり。
ちなみに左上のゲームコントローラのようなボタン、なんだこれ…。



海図台みたいのがありましたが、
ここで航海用の海図に航路を書き入れてたとは思えないので、
戦闘時の海図台か、あるいはトマホークミサイルの照準確認用か…。



で、これがトマホークミサイルの操作盤と教えてもらったのですが、
奥のオレンジ色のモニタなのか、左の白っぽいモニタなのか聞き忘れたため、
今となっては、どちらかわかりませぬ…

で、このおじさいさん、実に陽気な人でした。
知ってる限りの日本の地名を挙げ、おお、お前もそこ知ってるのか、
オレはあのトンネルで車で事故ったんだよ、
みたいな話で盛り上がるも、さすがにこの後の見学を考えると、
そろそろ引き上げなきゃ、という事で、お礼を述べて見学コースを進みます。

ざっと15分前後ではありましたが、こんだけ長時間、
英語だけで会話したのは実に久しぶりで、ちょっと楽しかったです。
ヘタすると15年近く前に、初めてアメリカに来た時以来かも。


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