■目以外もリアル
ようやく正面にたどり着きました。
比較対象物がないのでわかりくいですが、極めて巨大な建物でして、
ざっと30mの高さがあり、これは10階建のビルに近い大きさです。
よくまあ、造りましたね、こんな建物。
ついでながら1922年の完成で、当時の金額で295万7000ドルの建設費がかかったそうな。
例によって消費者物価指数(CPI)で比較すると2014年で4132万4000ドル、
ざっと42億5000万円ほどになりますね。
近代的な高層ビルよりはお安くなってるようですが…
ここは階段を登って行く間、リンカーン大明神閣下から常ににらまれる形になります(笑)。
でもって、ここで初めて他の観光客の人とすれ違ったのですが、
東洋人で一人で行動、しかもこざっぱりした服装、という点から、
おそらく日本人だったと思われます。
一瞬、声をかけようかと思ったんですが、あなたは何をしてるんですか?
と聞かれたら説明が大変そうなので、がまんする。
ようやく本殿内にたどり着く。
ここは外見からわかるように、ローマ神殿を模してまして、
その入り口奥に事実上のご神体といえるリンカーン大明神像がある。
そして照明の関係で、後光が差してるように見えてるため、
日本人としては、おもわずお賽銭を投げたくなります…。
一歩間違えると偶像崇拝になってしまうこういった施設は
中世以降のヨーロッパでは考えにくいものですから、
アメリカはキリスト教国家とはいえ、ヌルいというか、
事実上の無宗教に近い国だなあ、と思います。
あのローマ風荘厳な建築大好き&教会大嫌いのヒットラーですら、
ここまではやりませんでしたからね。
ついでに、ローマ風神殿といえばローマ風神殿であり、
その説明で十分なんですが、
1922年と言うタイミング、そして彫像がホールの中央にあるという構造、
どうもこれ、フリーメイソン建築の匂いがしなくもなく…。
まあ、たまたまかもしれませんが。
メモリアルこと神殿内部はこんな感じ。
こじんまりして見えますが、あのリンカーン像は本体だけで5.8mあり、
台座を含めると軽く3階建てのビル並の高さがあります。
まあ、ローマ人もビックリってなくらい、メチャクチャなんですよ(笑)。
で、ここでひそひそ声が聞こえてるのに気が付いた。
あ、他にも観光客が居たのか、と思ったものの、ぐるりと見回しても
どこにも他に人は見当たらない。
しかも声はどうもリンカーン本尊の方から聞こえてくる。
…ひょっとして深夜のリンカーン神殿、本人が降臨しちゃったのか?
霊感ゼロと思われた私が、まさかのアメリカで神秘体験!
とドキドキしながら歩き回って見ると、あの彫像の後ろにイスがあり、
2人の警備員の人が隠れて座っておりました。
そういや、ここは過去に何度か政治的なイタズラ書きなどがされており、
今ではテロ警戒施設になってるのかもしれません。
それでも来る人がいるなら拒まず、と夜間も公開してる
アメリカという国家の姿勢は大したものだなあ、と思ったり。
ちなみに、私が訪問したあと2013年10月に、
アメリカの議会が予算承認でもめて連邦予算が凍結されてしまい
政府直轄都市であるワシントンD..C.の多くの施設が
一時閉鎖に追い込まれました。
スミソニアン博物館軍団を含め、多くの公共施設が
一時閉鎖になったのですが、
実はこのリンカーンメモリアルもその対象でした。
博物館などはともかく、単なる建物のリンカーンメモリアルが、
なぜ閉鎖されたのか、というと、
どうもこの警備員の人件費が凍結になってしまったからのようですね。
その奥にある、リンカーンの、リンカーンによる、人民のための演説、
すなわちゲティスバーグ演説の全文。
リンカーンは南北戦争の勝利と奴隷解放で知られ、
その功績で今でもアメリカ史上最高の大統領の一人とされます。
が、単にそれだけではなく、まさにキレ者という人物でして、
この人の恐ろしさは、このゲティスバーグ演説に
濃縮されてると言っていいでしょう。
彼の欠点らしい欠点は世紀の悪妻とよばれた奥さんぐらいだと思います(笑)。
1863年7月のゲティスバーグの戦い、南北戦争の分岐点となった戦いは、
両軍の戦死、行方不明が合計で1万人を超え、戦傷者を含めると
4万6000人近い損失が生じると言う、近代戦ならではの激戦でした。
これは1815年のナポレオン最後の戦い、
フランス軍とイギリス、オランダ、そしてドイツ諸国連合軍が
衝突したワーテルローの戦いに近い人的損失で、
それをアメリカ国内だけで出してしまった事に、大きな衝撃が走ります。
(ワーテルローの戦死戦傷は総計7万人前後とされるが、
実際はフランス軍の逃亡兵1万数千人が行方不明扱いになってるので、
それを差っぴいて考える必要がある)
この結果、戦死者を埋葬する国家墓地をゲティスバーグに建設する事になり、
その開園式に、元国務長官でスピーチの名人として知られた
エベレット(Edward
Everett)と現役大統領だったリンカーンが呼ばれます。
この時行われたのが、このゲティスバーグ演説で、
上に掲げられた文章がその全文です。
…ええ、これで全文なのです。
最初はエベレットが演説に立ち、
2時間を越える大演説をやってのけます。
演説の名手と言われるだけに興味深い内容だったとされますが、
さすがに聴衆も疲れたところに、次のリンカーンが演台に上がります。
やれやれ次は大統領の大演説か、と思っていた聴衆に、
リンカーンはゆっくりと、力強く語りかけるのですが、
たったの2分弱でその演説を終えると、静かに演台を下りてしまったのでした。
リンカーン恐るべし、という感じでしょう。
カエサルの来た、見た、勝った(Veni,
vidi, vici)の戦勝報告と並んで、
人類史上もっとも広く知られた名文、
and that government of the
people,
by the people, for the people, shall not perish from the
earth
(そして人民の、人民による、人民のための政府を地上から滅ぼしてはなりません)
は、その演説のシメの言葉でした。
上の石版でも、一番下にその文が見えてます。
ちなみに、この人民の、人民による、人民のための政府、
という表現は、リンカーン以前にも使われた事があったようですが、
それでもリンカーンの演説全体の価値は変わらないでしょう。
ついでながら、この演説(Address)原稿のオリジナルは残っていません。
演説原稿をリンカーンから受け取った、とされる5人の人物の記録文が残ってるだけで、
それぞれの内容は微妙に細部が異なったりします。
ここら辺り、新約聖書みたいな部分がありますね。
ここの石版のが、どの記録に基づくのかはわかりませんが…。
ついでに、とんだ道化となってしまったエベレットもそれなりの人物で、
この演説の後、リンカーンにその短い演説を賞賛する手紙を送ってたりします。
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