■展示の工夫
で、その1949年のオレゴン州ジオラマは道路だけでなく、
その横に当時の自動車販売店の復元までありにけり。
展示されてるのは1950年製ビュイック スーパー セダン。
ビュイックは先に書いたように、GMの中では上から二つ目のブランドで、
どうも普通のサラリーマンが到達できる最高峰、
といった位置づけで、がんばれば手の届く高級車、という感じだったみたいです。
こういった形で自動車の展示を行なう博物館てセンスいいなあ、と思いますね。
ちなみに、上の写真の右端で車を見てるのは石膏像の学生ジミー(仮名)で、
奥に見えてる二人はホンモノの人間です(笑)。
ジミー横のスクーターは1945年に発売されたクッシュマン
ペースメーカー。
アメリカでは1930年代から50年代までスクーターが学生の乗り物として人気だったそうな。
ちなみに一部の州では強制保険無しどころか免許無しで乗れたそうで、すげえな、アメリカ。
今のアメリカでスクーターはほとんど見ませんが、
これは日本でもおなじで、昭和の末期から平成初期まで、
あれだけ街中を走っていた50ccのスクーター、今じゃキレイになくなりました。
ある意味、国家が成長する過程で一時的に流行する乗り物なのかもしれません。
韓国や中国では散々見ましたしね。
で、ここには商談中の石膏像までありにけり。
ちなみに右は誰も覚えてないであろう
夕撃旅団 D.C.部特別隊員の泣き落としボブで、
左は何事にも動じない夫婦のケリーとアン(仮名)。
こちらは1956年から建設が始まったアメリカ全土を結ぶハイウェイの展示。
ちなみにアメリカにはフリーウェイとハイウェイがありますが、
いわゆる国道に近いのがハイウェイで、
その中でも高速走行に適した道路がフリーウェイらしいです。
よって、日本の高速道路に近いのはフリーウェイの方で、
名前からして受ける印象とは逆みたいですね。
展示の舞台設定は新しいほうのアメリカ横断道路、
南回りの州間高速道路10号(Interstate
Highway
10)の上だとか。
それ以上、詳しい説明は無かったものの、カリフォルニア州の
ハイウェイパトロールが居るので、どうもカリフォルニア州内らしいです。
珍しく年代設定が書かれてなかったのですが、
タイトルが高速道路1956〜1990だったので、
1990年ごろと考えておけばよろしいかと。
アメリカ国内で州をまたいで繋がる、全国規模の州間高速道路は
1956年に推進法案が議会を通って、その建設が始まります。
ドイツのアウトバーンを参考にしたといわれるこの計画、
これがちょうどアイゼンハワー大統領の時代だったので、
ヨーロッパで戦って来た彼がドイツから持ち込んだ、
と考えられてる部分がありますが、
実際の計画は終戦後間もなくから動きはじめてます。
ただし各州単位での高速道路建設計画は1940年代からあり、
シカゴ市などは戦前、かなり大規模な計画を独自に立てていたそうな。
アメリカ中にある人口10万人以上の街全てを結ぶ、
この壮大な計画は、基本計画で総延長41000マイル(65600q)と
赤道を1周半してしまう規模となり、最終的には1990年代に入って
ようやく全線が開通したのでした。
カリフォルニア州のハイウェイパトロール、ハンサム スタスキー(仮名)の石膏像。
さめたコーヒーとスピード違反を死ぬほど憎む彼は、今日もゴキゲンに活躍中だ。
ちなみに何かの取締りではなく、下の写真のように
周囲に発炎筒が置かれてるので、どうも事故現場の整理中な感じ。
ちなみにこのオートバイは日本のカワサキ製KZ900なんですが、
なぜかこれだけ、車種の名前無しで、
単にカリフォルニア ハイウェイパトロールのバイク、とされていました。
スミソニアンの学芸員は男のカワサキが嫌いなのか…?
ついでながらハイウェイパトロールがバイクを使うのは、
渋滞の中をスイスイ走り抜けられるから、という理由だそうな。
いかにもアメ車らしいといえる、
1967年型ポンティアック グランプリのコンバーチブル型。
ちなみにライトはあの怪しげなフロントパネルの裏にあり、
点灯時にはくるっと回って出てくるようになってます。
なんの意味があるのかはよくわかりませぬ…。
この車の寄贈者である元オーナーは、これを新車で買った後、
32年間もこれに乗っており、最終的にアメリカ本土の全州、
すなわちマイアミからアラスカまで走り回ったんだそうな。
こういった物持ちのいいアメリカ人、たまに居るみたいですが、
その酷使に耐えたこの車もすごいですね。
それなりに手入れをしていたのでしょうが、
60年代のアメ車は見かけ通り、頑丈なんでしょうか。
その右奥は、1990年代から日本でも人気が出たミニバンのハシリ、
1983年から発売が始まったダッジのキャラバン。
ちなみにダッジはクライスラー社のブランドです。
当時、経営不振のどん底にあったクライスラーで、
アイアコッカが放った起死回生の大ヒット作がこのキャラバンで、
このヒットにより、一時的とはいえ(笑)クライスラーは経営を立て直します。
従来のバンよりやや小型であり、
内装が乗用車のようにしっかりしてる、家族にとって使い勝手のいい車が
ミニバンで、この後、アメリカにおける人気車種の一つとなったようです。
展示のものは1986年製造のもので、これも12年近く使われていたとか。
意外に、アメリカ車長持ちしますね。
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