■19世紀の消防
お次はこれも馬車っぽいですが、こちらは1842年製の消防車で、
フィラデルフィアで製造され、デラウェア州ウィルミントンで使われていたもの。
ちなみに基本的に人力で現場まで引いて行ったそうな。
車体中央にあるのが手動ポンプで、左右のレバーを押してこれで放水します。
ポンプ手前に見えてる絵は子供を救って階段で仁王立ちになってるアンちゃんで、
おそらくこれが当時の消防士さんなのでしょう。
(見ようによっては派手なカッコした誘拐犯にも見えなくないが…)
性能的には1分間に最大100ガロン(378.5リットル)の水(=秒間6リットル)を
最大150フィート(45.7)m飛ばせたとされますから、それなりのものです。
ただし水をどうしていたのか、という問題が出てくるわけですが、
ホースで消火栓や貯水池から吸い上げたとされてますから、
1840年ごろ、日本じゃ全開バリバリで江戸時代の段階で、
アメリカの大都市には消火栓があったんですね…。
ちなみに当時のアメリカの消防士は基本的に無償の志願者制で(Volunteer)
日本の火消し組のように、都市内で地区ごとの消防組が存在していたそうな。
後に1870年ごろから給与制の専任消防士が登場したらしいですが。
さらに余談ながら、単なる志願者制をボランティアと表記する
お粗末な日本語表記はさすがにそろそろ、なんとかしませんかね…。
車体の後部に1842年6月8日に導入したよ、というプレートが。
その下のハンドルは何のためのものかよくわからず。
注目したいのは車体の下で、手で引いてゆく低速の車なのに、
かなり精巧なサスペンションが組み込まれている点です。
これは馬車なども同じなんですが、自動車以前から、
欧米にはこういった基本技術があったのでした。
ちなみに車輪は鉄製ですから、サスペンションなしだと、凸凹道の衝撃は
かなりのモノになってしまうはず。
ついでに日本では最後まで、ほんとに最後まで(笑)、
このサスペンションという発想が出てきませんでした。
車輪による台車、という文化が極めて遅れていた日本では、
荷物を運ぶ大八車はもちろん、明治期にデビューした
人を載せる人力車ですら、サスペンションはありません。
当然ながら相当、乗り心地は悪かったはずで、
後にゴムタイヤ装備の人力車がデビューすると、
その乗り心地の良さから大人気となるのでした。
こちらは当時の消防士の皆さんが、各組ごとに装備していた帽子。
シルクハットのような印象ですが、さすがにもう少し頑丈な素材に見えました。
ちなみにフィラデルフィア市のものだとか。
1790年代から1800年代初頭くらいまで、
東海岸の大都市の消防組織では、こういったものが流行ったみたいです。
こうして見ると、アメリカの火消し組も、江戸の火消しのような
キップのいい若者衆、という印象があります。
まあ、それは一歩間違えるとヤ●ザもの、という事でもあるんですが(笑)…。
ついでに余談ながら、21世紀の現在では想像も出来ませんが、
19世紀から20世紀半ばまで、男性が会社に行ったり、
公共の場に出たりする時は帽子を被る、という暗黙のルールがありました。
当時の映画とかを見ると、男性の皆さんは外出時に帽子を被ってるのが普通で、
少なくとも終戦後、1950年代くらいまでの欧米では背広と帽子が
男性のビジネススーツであったわけです。
ここらあたりはアメリカのギャングの皆さんですら、これを被ってますね。
日本だと、大正くらいになってようやく取り入れられ、
終戦後もそれほど広まらずに廃れちゃいますが。
が、1960年代頃から、100年以上続いたこの風習は急速に廃れ、
2014年現在、会社に行くのに帽子を被ってゆく人間は
よほどのキザなアンチャンか、頭髪に不安を抱える一部の人くらいでしょう。
で、個人的には、次はネクタイ、
あの首からぶら下げるタヌキの尻尾みたいなマヌケな部品を
世界中から追放できないだろうか、と思ってます。
少なくとも、緯度40度より赤道よりのエリアの暑い夏の最中に、
あんなものぶら下げてるのは、底抜けのトンマにしか見えませぬ。
こちらは20世紀初頭頃のお店の案内看板。
上は歯医者さん、下はドラッグストアのものです。
ちなみに上の歯医者さんの看板で、痛くないよ(No
pain)、
痛みは無いよ(Painless)と連呼してる辺り、
昔から歯医者さんと言うのはそういった商売だったのだなあ、と思ったり。
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