■さらば海軍工廠



橋の上からの景色。

アナスコティア川はこの先でポトマック川に合流してしまうため、
全長わずか14qの短い川なのですが、合流地点ではこんな大河になってます。

ちなみに2000年ごろまで、都市汚水、さらにこの海軍工廠の工場群から出る
科学物質の廃棄物によって、アメリカで最も汚れた川の一つとして
有名だったそうですが、ここ10年前後でだいぶキレイになったらしいです。

見ていると2艘の漕艇が橋の下を通り過ぎて行きました。



ちなみにこちららが海軍博物館の方向。
接岸してるのは博物館の展示の一つ、退役駆逐艦、USSバリー(Barry)。
その奥に見えてる巨大な骨組み状の建物が例のナショナルズの球場です

現在、同じ名前のアーレイバーグ級のイージス艦が現役でありますが、
展示されてるのは、その先代のバリー(DD933)となります。
アメリカの場合、歴史ある艦名を次々と新しい世代の
新造艦が引き継いで行くため、どうもややこしいですね。

これはフォレスト シャーマン級駆逐艦の中の一隻で、
1956年から1984年まで現役だったものだとか。
1962年のキューバのミサイル危機、ベトナム戦争にも参加してる歴戦の艦で、
1984年から、博物館の展示物、あるいは基地での行事会場用として
ここに係留されてるようです。
これも見ておきたかったものの一つだったんですが…

これによってボストンに次いで、2連続駆逐艦見学失敗となります。
まあ、この翌日にそれらを全てチャラにしちゃう水上戦が待ってるんですけどね。

で、その右手に屋根だけ見えてるのが海軍博物館で、
太平洋戦争の資料の宝庫、海軍歴史センターの本部もこの辺り。
こちらはホームページで多くの資料を公開してます。

で、海軍博物館は日本の特攻機の桜花、
そしてF4Uコルセアを持ってるんですが、最大の注目は、
屋外に展示されてる海軍列車砲です。

日本が運用してた陸軍空母並みによくわからん名前ですが、
これはこの海軍工廠が開発した戦艦主砲を流用して造られた
14インチの列車砲で、何を考えたかアメリカ海軍は
これを8台も造って第一次大戦時のヨーロッパに持ち込んでいます。

そもそもはドイツのチョー巨大砲遠距離アタックに悔しい思いをしていた
現地の要望によって、ここで列車砲を開発、フランスに持ち込んだらしいのですが、
開発だけでは気が済まず(笑)、実戦での運用も海軍がやってます。
(部隊は陸軍の将軍パーシングの指揮下に入った)
私が知る限り世界の海軍の中で、最も暴走した実例の一つがこれで(笑)、
興味のある人は、14inch naval railway gun で検索してみてください。

ちなみにその開発の基となった14インチ砲を搭載した
ニューメキシコ級の戦艦は、後に第二次大戦にも参戦しました。
各地の上陸作戦で艦砲射撃を行なっていますから、
日本軍は第一次大戦でドイツ陸軍が食らった砲弾を、
第二次大戦の海の上で受けた事になります。

その中の唯一の現存車両がここに展示されているのでした。
そもそも、私は列車砲を見た事がないので、
これを見ておきたかったのですが…。

ただし、この展示は例の河岸遊歩道のすぐ横なので、
夏場にあれが解放されてる時には、
博物館に入れなくても見ることは可能だと思います。
うーん、見たかったザマス…。



が、ダメなものは仕方ない。
さっさと切り替えて次の目的地、アメリカ史博物館を目指しましょう。

ほんとは駅に戻って地下鉄で移動する予定だったのですが、
この看板を見ると駅まで0.7マイル(1.12q)、
国会議事堂の裏側、モール地区の入り口の
キャピトルヒルまででも、0.9マイル(1.44q)との事。

確かそっちにも地下鉄駅があったはずなので、
どうせならキャピトルヒル方面に行ってみましょうか。



そこから北上を開始するわけですが、
後で調べたら旧アナスコティア地区にあったスラム街ほどではないものの、
この地域も、かつては治安がよくない地域だったとか。

ちなみに、ここは国会議事堂のすぐ裏で、
東京で言ったら赤坂、六本木辺りの位置です。
そんな地域が治安が悪いってのもすごい国だなと思ったり。
ただし、現在はごく普通の住宅街になりつつあるようですが、
国会の裏1q前後の地域に普通に住宅街が広がるってのも
日本人の感覚だとちょっと理解できません。



周辺を歩いてる人を見ると、黒人系の皆さんが多かったです。

ただしアレクサンドリア地域の人たちに比べると少しラフな格好の人が多く、
ここら辺り、1970年代に問題になったドーナツ化現象、
裕福な人たちが郊外に脱出した後に、
貧しい層が都心に残される現象の名残かも知れません。


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