■海軍の夢の跡
さて、そんな感じで上陸したボストン海軍工廠跡、
その現地案内図から見て行きます。
今回は案内図の中央右側付近にあるフェリー乗り場から上陸、
白い点線のように移動しながらの見学をしております。
ちなみに海軍工廠(Navy
yard)を一言で説明するなら、
軍艦の建造や修理を行なう事ができる海軍の基地です。
ただし艦船ばかりではなく、ロープや錨なども造ってたんだとか。
ボストンの海軍工廠は1800年、
おそらくアメリカでも最も早く作られた海軍工廠の一つで、
前回見た全長で250m近い2番ドックと、この後の記事で登場する
今でも現役の120m前後の1番ドックの2つのドック(乾ドック)を持っていました。
ここは1974年に閉鎖となったんですが、以後、使い道に困った挙句、
よくよく考えたら歴史的な施設なんだから
公園として保存しよう、という事になったそうな。
1800年といえば、まだ首都ワシントンの建設が始まったばかりの時期ですから、
ほとんどアメリカの歴史と同じ長さを持つ施設、といった感じになります。
ただし現存する構造物は1800年代後半から
第二次大戦期に造られたものばかりですが。
ちなみに、そこで働く技術者、工員は基本的に全て民間人となります。
工廠がもっとも大規模に活動していた第二次大戦期には、
24時間交代制で実に5万人の工員が働いていたとか。
そして、第二次対世界大戦がアメリカ女性の社会進出に大きく貢献した、
といわれるように、ここでも労働力不足を補うため、
かなりの人数の女性が工員として働いていたようです。
…その時代に来たかった…。
現地の案内板より。
左が1830年代から導入されたというロープ製造機。
1/4マイル、400mもの長さの工場だった、と書いてあります。
ただし、1830年代にこんな写真が撮れるわけありませんから、
かなり後年の撮影でしょう。
右は海軍工廠が開発した、
というDie-lock式の錨用の鎖を製造しているところ。
このDie
は鋳型の意味だと思うので、
鋳造式でつくられたパーツを組みあわせて造る鎖、というとこでしょうか。
ただし、ここのドック設備で大型艦の建造は無理だったようで、
第二次大戦中は主に駆逐艦と、より小型の護衛駆逐艦の建造をやっており、
それを記念して駆逐艦USSカッシン・ヤングを展示しているわけです。
この艦はここで建造されたものではないのですが、
大戦後に予備役艦となっていたのが、朝鮮戦争で現役復帰する際、
ボストン海軍工廠で近代化改装工事をうけているのでした。
でもって例の世界最古の現役軍艦、帆船USSコンスティチューションは
ここで建造された、と説明されてますが、その就役は1797年。
1800年開設のボストン海軍工廠で造れるはずがありません(笑)。
これは海軍工廠の元となった乾ドックを持つ造船場による建造で、
まあ、だったらボストン海軍工廠製でいいんじゃない、といった話のようです。
ちなみに大量生産無敵空母軍団エセックス級の中の一隻、
CV-18
ワスプは、戦中から戦後にかけてボストンを母港にしていたため、
その定期点検やオーバーホールをここでやってます。
とはいえ、エセックス級空母は喫水線で250m前後の全長があるため、
ここのドッグには入れるかどうかギリギリのラインですから、
あくまで定期点検レベルのものだと思いますが…。
(ドックの全長は250mを超えるが実際に水が抜けるのはもっと狭い範囲となる)
ついでにここの旧称はチャールズタウン海軍工廠(Charlestown
Navy
Yard)で、
今でもこっちの名前の方が通りがいいようです。
気が付いた人も居るかも知れませんが、
前回の見たフェリー時刻表では、行き先はこの名前になっていましたね。
…となると地下鉄のキップのチャーリーって、このチャールズか(笑)?
ボストン周辺のことをチャールズ半島と呼ぶらしいですから、それか。
でも結局、チャールズって誰…?
例によってイギリス王室関係者か。
…まあ、とりあえず、見学と行きましょうか。
NEXT