■スミソニアン今昔
展示場となっていた西側棟もなかなか立派な建物です。
キャッスルの建物は1970年代に大改修を行なっているらしいので、
おそらくその時に、こういった19世紀の内装に戻されたんでしょうかね。
1895年ごろの館内風景。
ちょっと判りにくいですが、テーブルのようなガラスケースの展示と、
食器棚のようなケースの展示に分かれており、
これ、当時の大英博物館の展示方法、そのまんまですね。
おそらく影響を受けているのでしょう。
この時期でも、写真の展示室内にまだ電燈がないのにも注意してください。
(写真上に見えてる光点は展示室の照明が反射したもの)
エジソンの特許からすでに10年以上経ってる時期ですが、
意外に普及には時間がかかったのか、まだ必要ないと思われていたのか。
そんな展示の一つ、自由の女神の彫像。
ああ19世紀のオミヤゲか、と思ったのですが、
よく見ると1885年の製品とされいました。
それって自由の女神ができる前じゃないの、とよく見たら、
実は単なるオミヤゲではなく、女神像の台座部分を作る資金を集めるため、
当時売り出された記念品だとのこと。
フランスの有志からの贈り物として知られる(国家間の贈呈ではない)
自由の女神像ですが、実はもらったのは本体のみで(笑)、
台座部分はアメリカ側の負担となっていました。
その建設費を得るために、
これが1体1ドルで売り出され(大型で5ドルのもあり)
その建設資金に当てられたそうな。
ちなみに像の後ろにあるのは、その寄付金募集を呼びかける
当時の新聞広告です。
でもって、これ以外の展示は、
基本的にアメリカ人が見ると面白いな、
というようなものばかりで、日本人の見学者からすると、
ああ、こんなものもあるのね、という世界でした。
なのでさっさと航空宇宙館に向うか、と考え始めていたわけです。
が、恐るべしスミソニアン協会、まるでさりげなく、
一撃で私の無関心を星の彼方に葬り去る
満塁逆転ホームランを隠し持っていたのです。
それがこれ。
1913年にロックウッド(Hormer N.
Lockwood)という人の死後、
遺贈された資料の中にあったもの。
解説によるとpunch mark of
railroad、
つまり鉄道のキップに入れる改札のパンチ(改札鋏)の穴のコレクション。
今ではほとんど見ることができませんが、
かつては乗車の際、キップには駅員さんや車掌さんが持ってるパンチで、
切れ目や穴が開けられ、使用済みと分かるようになってました。
ロックウッドさんは、そういったパンチ穴のコレクター、
というちょっと変わった人だったようで(笑)、
アメリカどころか世界中を周って、キップだけでなく
手持ちの紙にパンチ穴を開けてもらっていたようです。
写真は、縁周りがぐるりとパンチ穴で飾られた
そういった紙の展示。
ついでに、この紙もただの紙ではなく、
1893年に合衆国大統領になったハリソン、
メキシコの大統領だったディアズのサインが入ってます。
どうやら、それなりの社会的立場にあった人のようですね。
で、ここまではまあいろんな趣味があるなあ、と思っただけなんですが…。
なんか下のパンチ穴の紙に漢字が見えたので、
何気なく読んでみると…
勝
安芳(やすよし)?
あれ、これ勝海舟のサインじゃないですか!
なんでこんなところに(笑)?
このコレクターの人、日本に来たことがあるのか。
しかし安芳は明治以降に名乗ったものですから、
当時は完全に隠遁生活に入っていた勝になぜ会えたのでしょう。
気になったので帰国後、
氷川清話とか、海舟座談とかをひっくり返してみましたが、
そんなコレクターのアメリカ人が来た、という記述は見つからず。
参考までに他に漢字で見える星祭(すごい名前…)さんとか、
脇さんとかも調べて見ましたが、勝の周辺にそういった
名前の人物が見つからず。
他のサインがアジア各国の文字の羅列となっているので、
持ち主がアジアを周遊して、
その際にサインをもらったのだと思いますが…
まあ、ちょっとした謎ですね。
ホントに海舟のものか、は断言できませんけども…。
ちなみに、博物館の解説では当然、勝の名前は無視されてます(笑)。
私の英語力では無理なので、
どなたか時間と英語力のある方、
スミソニアンに教えてあげてくださいませ。
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