■支払いはこの人



で、入り口を入って直ぐ右の最初の部屋に例の銅像、
南無 酢味尊大明神閣下がいらっしゃいます。

彼の肖像画も残ってるのですが、
この銅像、あまり似てないような…。
肖像だと、もっと繊細な感じのオデコの目立つオジサマです。

ちなみにスミソンの残した鉱物関係の研究資料なども
全てこのスミソニアン協会が引き取ったのですが、
先に書いた1865年のキャッスル大火災で
ほとんどが焼けてしまったようです。
でもって、このスミソニアン協会の火事によって、
彼の生前の資料の多くが失われてしまったため、
未だによくわからない部分が多く残る
謎多き人物となってしまったそうな。

余談ながら彼はイギリス王室につながる血筋の貴族、
公爵(Duke)の私生児で、母親がパリで密かに出産したため、
実はその誕生日すらよくわかってません。

それでもオックスフォード大を出て化学者として活躍したほか、
ナポレオン戦争で捕虜にされたこともあるようで、
貴族の子弟らしい生活をしていたのは確かなようです。
ただし、公爵の地位は継いでいないみたいですね。



その横に怪しげな石がおいてあるので、なんだと思ったら、
スミソン閣下の名前から命名された鉱物、スミソナイトでした。
当時、別のキャラマイン(calamine)という鉱物の一種だと考えられていたのを、
スミソンが別の鉱物だと発表したんだそうな。
日本語名は菱亜鉛鉱だとか。



で、その部屋の周囲になんだかたくさんのパネルが貼ってある。
ライオンの写真やライト兄弟の初飛行の写真がありますが、
それ以外は全てスミソニアン協会に寄付金を送った協賛企業の名前でした。

ちなみに、パネルの上にさりげなくスミソニアンの遺言が刻まれています。

ついでながらライト兄弟、最終的には和解するものの、
スミソニアンの航空宇宙部門とは犬猿の仲だったはずですが…。



さて、その胸像の部屋の向かいにもう一つ部屋があり、
なんだか瓶のようなものが置いてあるのが見えます。

なんだあれ。



なんとジェームズ・スミソニアン閣下その人の棺桶、
当然、その遺骸の現物入りでした。
うーん、こういったものを公共施設の中に設置してしまう、
という感覚はどうも日本人には理解しかねますね(笑)…

彼は1829年、イタリアのジェノヴァ滞在中に死去し、
現地に埋葬されたのですが、1904年、わざわざそれを掘り出して、
1905年1月にここに運び込んで安置したものだとか。

どいつもこいつも墓場からラッパでたたき起こされる、という
最後の審判を本気で信じてるキリスト教式埋葬ですから、
これ火葬したものではなく、遺体をそのまま
箱詰めしたものなんですよね…

先に書いたように遺族はいない状況ですから、
問題なくできたのでしょうが、そこまでする理由がよくわかりませぬ。
そんな遺言も無かったはずです。

どうもカソリック教の王国イタリアにあるプロテスタントの教会、
そして墓所は危ない、と思ったのか(実際、第二次大戦時に破壊されたらしい)、
あるいは墓の維持費をスミソニアン協会が出していたので、
それなら現物を回収、自分の所で安置した方が安上がりだと思ったのか。

あるいは、万が一、神の奇跡でうっかりスミソンが生き返えって
「いやー、死ぬかと思ったぜ。ところでオレの金返して」
とか言い出したら、えらいことですから、
そうなる前に速攻で再度カンオケに放り込むため、
協会の心臓部に安置したのか。


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