■それはスミソニアン協会

いよいよスミソニアン協会が運営する博物館軍団への
第一歩となるわけですが、
ここで、その大雑把な構成を把握しておきましょう。

イギリスの酔狂なお金持ち、そして科学者でもあった
ジェームズ・スミソン(James Smithson)閣下が
その莫大な遺産をアメリカ合衆国に寄付、
「アメリカ、それもワシントンの地に
(実はD.C.とは言ってない。が、当時まだワシントン州はない)
人類の英知の集積と普及を目的とする組織を
スミソニアン協会の名で設立するのじゃ」
と遺言してしまいます。
(語尾の「じゃ」は訳者の勝手な判断でつけてみました)

その後、いろいろあったのですが、
最終的にこの遺言が実行に移される事になり、
現在のスミソニアン協会が産まれるのです。
すなわち、スミソンの金で作った協会だから
スミソニアン協会、という事になります。



ジェームス・スミソンの寄付は、アメリカにしてみれば、
棚からボタモチどころか金塊が袋ごと落ちてきて前歯が折れたので
せっかくだから金歯を入れてみました、というような話だったのです。

実は彼には甥だか養子だかの法定相続人がいたのですが、
この人もスミソンの死後、
間も亡くなってしまい、その結果、遺言の最終条件、
もし相続人が死んだら遺産はアメリカ行き、が実行されたようです。
が、スミソンは生前にアメリカを訪れたことも無く、
なんでこんな遺言を残したのかはよくわかりません。
金持ちならではの酔狂ですかねえ…。

アメリカにとっては、そんなありがたい人ですから、
本部のキャッスルでは一室を割いて胸像が飾ってあります(笑)。
日本だったら賽銭箱まで置くところでしょう。



この結果、1846年、ワシントンD.C.に設立されたのが
このスミソニアン協会でした。

その設立にはスミソンが残した
104960枚の(アメリカはお金に関する記録は素晴らしく優秀だ)
ソブリン金貨、当時の価値でざっと50万ドルが当てられる…
はずだったんですが、実は遺産を受け取った後、
その保管を受け持った財務省は(今回見た10ドル札のアレ)
なぜか安定した金貨で保持せず各州が発行していた
州債にこれを投資してしまいます。

公共機関の債権ですから、ある程度安全と思ってしまいますが、
当時のアメリカの州の信用なんてたかが知れており、
この州債もあっさり利払い滞納、回収不能となってしまうのです。

どれだけの金額が失われたのかはっきりしないのですが、
その損失の補填をめぐっての議会での大論戦が発生、
かてて加えて、スミソンの遺言、
「人類の英知の集積と普及の組織」ってどんなものやねん、
という基本的な部分の解釈でも、紛糾する事になってしまうのです。

その結果、1838年に遺産の相続を行ないながら、
スミソニアン協会が議会によって設立させられたのは、
実に8年も後の1846年になってしまいました。
もしかしたら、上の銅像はスミソンさんごめんなさい、
という意味で立てられたものかもしれません(笑)。

そういった経緯もあり、スミソニアン協会は
議会の承認を基に作られた結果、基本的に独立した組織ながら、
その実態は半国営であり、その職員の大半も国家公務員です。
2013年10月に政府予算不成立によって国家公務員の多くが
勤務停止(というか給料が出なくなる)となった時、
スミソニアン博物館軍団まで閉鎖の対象になったのはそのためです。

ここでちょっと脱線。
前回チラッと紹介した大統領行政府が
アメリカ国家予算の歴史表(Historical tables)という
資料を公開しており、アメリカ政府の過去の歳入、支出が
どんなもんだったか見る事ができます。

これを引っ張り出してみると1850年以前は
60年分の合計金額という豪快なデータで(笑)、
どこまで参考になるか微妙ですが、
とりあえず1年平均だと歳入が約1930万ドル。
となると、50万ドルというのは国家の歳入の約1/40という金額になります。

2011年のアメリカ政府の歳入が約2兆5670億ドルでしたから、
1/40なら、現在の価値で約640億ドル規模の寄付、
つまり約6200億円の寄付、という事になるわけです。
気前がいい、なんてレベルじゃないですね(笑)。
このため、当時のジャクソン大統領は、あわてて特使を派遣、
その受け取りを行なわせています。

といっても当時の経済状況と現在の経済状況を
そのまま比べるのは無理があり、
金額換算だと、実際はその1/10以下、
下手をすると1/100以下だと思います。
まあ、それでも国家予算の1/40もの金額が
飛び込んで来たわけですから、アメリカ、ウハウハなわけです。

そんなスミソニアン協会の研究、収集の結果を展示するために、
最初に建てられたのが、今回見るキャッスルの建物となります。

余談ながらスミソニアン協会(Smithsonian Institution)が
これらの施設の正式名称であり、この協会の下で複数の博物館、研究施設、
さらには動物園までが運用されています。
よって繰り返しになりますが、よく日本国内で見かける
「スミソニアン博物館」なる組織も施設も建物も実在しません。
あくまで協会と、その下で運営される複数の博物館の集合体なのです。
過去においてもスミソニアン博物館なる存在は、あった事がありません。

ここで現地の地図で各博物館の位置関係を確認しておきましょう。
ただし、この地図、なぜか下が北側になってますから注意してください。
ついでに記事中では、この緑地帯をモールと呼んでますが、
正式名称はここにあるようにナショナル モール、
国立緑地遊歩道という名前になっています。
さらについでに、冠詞のTHEは必ずつくので、
道を聞く場合などのため、ザ モールと覚えておいた方が無難です。



さて、半分自称、半分真実として(笑)
世界最大の博物館&研究機関を名乗るのが
このスミソニアンの博物館軍団で、ご覧のように配置されています。

博物館としての総合力ではロンドンの科学、自然史、英国(大英)、
そして帝国戦争博物館に加えて空軍博物館の
スーパー博物合体連合の方がおそらくやや強力ですが、
(ただし第二次大戦後の航空宇宙関連はスミソニアン圧勝)
単一の組織が、歩いて行けるエリア内に集中して運営している
博物館集団としては世界最強レベルの施設でしょう。

上の地図で名前が書かれてるのは今回、私が訪問した施設で、
これ以外にもいくつかの美術館がモール周辺にあり、
さらにはモールから離れた数箇所にも別の博物館を持ちます。
2日後に訪問する、世界最強航空展示空間の一つ、
ウドバー・ハジー航空宇宙別館などもそれですね。
(アメリカ)空軍博物館を別にすれば世界最高レベルの航空関係展示施設)

スミソニアン博物館軍団の中では、自然史、アメリカ史、航空宇宙博物館の
三つが主力博物館で、そこに10年ほど前、
アメリカン・インディアン博物館が新たに加わりました。
ただし、このアメリカン・インディアン館はちょっとイマイチな施設ですが…。

ついでながら、上野公園の博物館地帯は、おそらくここをモデルにしているようで
特に科学博物館の旧館とかは、これって自然史博物館の劣化コピーだよなあ、
という構造になっています。
逆に言えば、上野公園の博物館&美術館地帯を
10倍ぐらいの規模と質にした、と想像しておけば、大筋で間違いではありません。

ちなみに、左下、国会議事堂の北西にあるのが国立美術館ですが、
これはスミソニアン協会の運営ではありません。
ここは現代芸術と古典芸術で東西に分かれており、
今回は古典芸術の西館だけを見ています。

ついでながら、この博物館軍団も工事や展示入れ替えが多く、
前回、自然史博物館の大半が工事中でしたが、
今回も一部で入れない場所がありました。

さらにアメリカ史博物館はその半分が改装中で(涙)、
2016年まで完成しないよ、という告知が貼ってありました…。




さて、ではスミソニアン博物館軍団の最初の相手、
キャッスルに入ってみましょうか。
さすがは国家予算の1/40の寄付を基に作られただけあって、
なかなか立派な玄関です(笑)。


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