■スミソニアンへの道



そこでは、例のテント村の準備が着々と進められていました。
でもってモールがなんぼ広いといっても、テント村が展開してるのは
せいぜい1q前後の地域。

それでもアメリカ人の皆さんはゴルフカートのような車を使って移動してました。
…ダイエット食品うんぬんよりも、歩こうよ、少しは(笑)。



その先で、このテント村を作った目的が判明。
このノボリによれば、この週末にBook Festival、書籍展が
このモールで行なわれるのだとか。

おお、それは面白そうだ。
ぜひ見に来るとしましょう。



そのイベント運営本部らしきテント。
右には司令部(Command center)、
左には志願者出頭所(Volunteer check in)
の看板が出ております。

こんなとこまで軍隊式にやらんでも(笑)…
第二次大戦後から冷戦終結までのアメリカは、
ある意味世界で最初で最後の民主的軍事国家だったのですが、
(古代ギリシャの都市国家もかなり近いが)
未だにその名残があるんでしょうか。

ついでにボランティアは外来語として定着しちゃいましたが、
これは単純に志願者、あるいは自主参加という訳語を当てればいいだけです。
なんで、こんなのをカタカナ外来語で代用するんでしょうね…。

そういや、以前、質問を受けたとき、文章内でソース、ソースと連呼され、
この人はブルドックかオタフクの回し者なのだろうか、と思ったことが。
で、なんのことは無い引用元、出典のことでした。
Sourceをわざわざカタカナで日本語の文章に埋め込む意味がどこにあるのやら。

この手の単語の使い方で、人体の頂点部にある器官の個体差が
大筋で読めるので、ありがたい判断基準ではありますが(笑)。



さて、モールの南側に出ると、その中心部にあるのがこの建物。
Castle(キャッスル/城)と呼ばれるこれが、
1855年に建てられたスミソニアン博物館軍団最初の建物であり、
かつてはここも博物館として使用されていました。
当初はさらにスミソニアン協会会長の執務室と住居空間まであったそうな。

ホワイトハウスといい、偉い人は職住合体、というのが
19世紀のアメリカのスタイルなんでしょうか。

正式名称はSmithsonian Institution Building、
スミソニアン協会ビルで、博物館が全て外部に独立してしまった現在は
協会の事務所と見学者向けの案内所が中に入っています。

ただし一部は今でも展示スペースとして使われており、
企画展などが定期的に開催されてるようです。



入り口はこんな感じ。
ただし、ここも裏に庭園があるタイプの建物で、
どっちが正面なのか、正確にはわからず(笑)。
復古調のゴシック建築にロマネスク風のアレンジを加えた
との事ですが、私には判別がつきません(涙)…。

ちなみに建築後10年たった1865年に
数日間に渡って燃え続けたという大火事に見舞われてるはずなんですが、
その後大幅に建て直したのか、石造建築物なので、
内装を作り直しただけなのかはよくわからず。

ちなみに観光客が見学できるのは1階のみのようです。


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