最初に現地の地図で遺跡の概要を確認して置きましょう。地図の下、1番の数字がある辺りが南門&多賀城碑のある場所。そこから赤い真っすぐの道が続く先、4番の辺りが政庁跡。周囲を囲む黒い線が土塁跡。ざっと1q四方なんですが、この土塁、かなり歪んでおり、平城京、藤原京、平安京、そして大宰府の構造がキレイに方形になっているのとは対照的。さらに言えば先に見たように一帯はかなり凸凹で整地したようにも見えません。大和朝廷の北の再勢戦の政治、軍事の拠点だったのは確かですが、やや雑然とした印象は受けます。

ちなみにこの土塁、当初はもう少し狭い範囲だったのを後に拡張したのが発掘で確認されている他、土塁の外にも幾つかの遺構が発見されており、それなりの規模の施設であったのは確かです。

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