|
![]() そこから北側を見る。判りにくいですが凸凹の地形を貫いて太い道が奥の北方向に向けて続いています。あっちが多賀城の中心部、政庁跡の一帯でしょうかね。ついでにこの一帯かなり凸凹な地形のまま。キレイに整地された平地にあった大宰府とはかなり異なる構造ですね、これ。 というか、なんでこんな凸凹の土地に建てたのだとも思う。 ![]() 公開前の南門、裏側からは結構、側まで近づけました。まあ千円賭けてもいいですが、こんな構造でも色でも無かったと思いますよ、南門(笑)。あとこの距離から見ると木造に見えます。マジで?30年もすると腐ってボロボロになるぞ、これ。 ![]() その南門のすぐ横にあるこの小さな建物の中に、先に博物館でレプリカを見た多賀城碑の現物が入っていました。 ![]() 繰り返しますが江戸期初期に「発見」されるまで、この碑に関する史料は一切無く、個人的にはどうも怪しいと思いますが、とりあえず国宝です。まあ336年前のこの場所に松尾芭蕉が立ったんだな、と思うと感慨深いものはあります。 ![]() では遺跡の中心部、政庁跡に向かいましょう。 |