では登ってみましょう。やはりどう見ても江戸期の階段ではないでしょう、これ。おそらく明治大正期のものじゃないかなあ。



ただし石垣は往時のものですね、。手前の上には石を割る時に入れたクサビの跡が残っていました。



本丸&大奥などがあった一帯。中央に台座だけが残っていますが、かつてはここの旧地主、南部家の当主ながら日露戦争で戦死した人物の銅像が建っていたそうな(一帯は公園化された後もしばらく南部家の私有地だった)。大戦時の金属供出で持って行かれたあと、そのまんまなのだとか。いや、もう令和の時代なんだし、なんとかした方が良くないですか…。



本丸の縁部分は一段高い構造になっており、どうも天守閣を建てる気だったようにも見えます。ただし天守閣用の土地としてはさすがに広すぎ(江戸城の自称(実際はあの場所には一度も天守閣は建てられずに終わった)天守閣台座跡より広いだろう)、最初から本気で建てる気はなかったんだろうな、という印象です。



そこから90度曲がって下に向かう道。恐らくこれが本来の本丸への出入口でしょう。ちなみに直接二の丸に行く事もできるのですが、この時は工事中でそちらは通れず。

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