その本丸一帯への道。右手側に本丸入り口の門があり、そこから90度曲がって下って来る構造です。一応、戦闘を前提とした設計ではあります。



その右手にあるのが二の丸跡。本来は左手に見える橋で往来できるのですが、この日は工事中で通行禁止でした。



その本丸と二の丸の東側にある低地の広い一帯。古地図だと台所となってますが、正直、何があったのかよく判らず。大きな建物があった様子は無く、食事をとる場所、調理場、あるいは藩主の正室、すなわち御台所に関連する場所とは思えず、なんのためのこの広い土地なのか見当が付きませぬ。



その横にある池はかつてのお堀の後。かなり狭い上に浅く、往時のものとは違うとはいえ、これで役に立ったのかと思わざるを得ないお堀でした。まあ戦闘城砦ではないんでしょうね。



 ただしお堀の向こうには中津川が流れており、これが天然の水堀となっていたようです。ちなみに城が完成した時代には北上川が城のすぐ反対側を流れており、両河川に守られる立地でした。

ところが北上川はよく氾濫して城に被害を与えたらしく、17世紀末に南部藩はこれを現在の流れに変える普請を行っています。お堀として川の一部は残っていたようですが、現在は既に見たようにこれも道路になっちゃってます。

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