さて、ではいよいよまだ見ぬ北の街、盛岡市内に突入です。写真は現地の地図ですが、例によって北が上ではなく左になってるのに注意。ホントにこの手の地図は見づらいので止めて欲しいんですけどね。



21世紀になっても令和になってもインターネットを3歳児が使う時代になっても、観光情報はお粗末の一言なのが太陽系第三惑星の地球です。街の中心部はどこなのか、繁華街はどの辺りに広がるのか、という最低限の情報すらまともに存在しないのです。これは海外も国内も一緒。すなわち未だに現地に行かないと判らないことだらけなので、せめて当サイトくらいは常に必要最低限の情報を伝えて行く所存。

盛岡も古い町であるため、駅は市内中心部の外に造られており市内最大の繁華街、大通りまでは北上川を渡り10分くらい歩く必要があります。さらに言えば恐らくもっと古い商業地区だろうと思われる一帯、肴町のアーケード街が盛岡城の東側に広がっていました。ちなみに肴町で(さかなまち)と読みます。現地では読めず、このため人に道を聞けずに難儀しましたぜ…。

以下、余談。日本の鉄道も当初は欧米型の開発を行ったため、古い都市ではその郊外に官営鉄道駅(現JR)が造られる事になってました。このため駅の周辺にどれだけ繁華街が広がるかで街の歴史が凡そ判ります。千葉や埼玉の大宮など戦後に発展した新参の都市は駅の周辺が街の中心と一致しますが、大阪、東京、名古屋、京都、仙台、盛岡、博多、などは全て繁華街の中心と駅の位置が大きくズレています。まあ例外もあって北九州こと小倉駅は中心部にありますし、横浜のようにかつての中心部(元町、伊勢佐木町)が衰退して横浜駅周辺に新しい都市圏が造られてしまう例もあります。それでもその街の歴史を見る時、駅の位置は意外に参考になります。この点で盛岡もまた明治以前からの古い歴史の街だと思っていいでしょう。

とりあえず前回見た駅の西側の展望台から北上川沿いのレンタル自転車拠点を経由し、開運橋を渡り市内最大の商業地区「大通り」に入り、その奥に位置する盛岡城跡に向かいまする。さあレツゴー。

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