でもってその3階の一番奥には、グリーン席の一部が保存されていました。赤いシートなので指定席の方だと思われます。同じグリーン席でも、この指定席は各一列、自由席は二列で広さが違っていたようです。ああ、これだよこれ、私が見たかったのは。



座席は今の感覚だとちょっと貧乏くさいですが、窓は広く、なにせ3階、眺めもイイ。一度乗って見たかったなあ、と思う。横の台座とフタは荷物入れですかね。



そこから先は往時のママの雰囲気が残っています。ワクワクがハイドロプレーニング現象。突き当たりのトイレは当時からあるものですが、さすがに中はキレイに改装されています。艦首方向に向かっているので、最初に見た館内案内図によるとこの辺りに寝台室があるはず。



おおおお、残っていたぜ寝台室。感動。



思った以上に広いな。ただし奥の寝台は4つ、その4人でこの部屋を使ったみたいです。集団で貸し切りとかならいいですが、知らない人とこの空間で過ごすのはちょっと気を使うかも。でもってぶら下げられているのは国鉄マークの入った寝巻。横に個人名が入っていて何だこれ、と思ったんですが、帰宅後に写真を拡大してみたら寄贈者の名前でした。手前のテーブルには未開封らしき青函連絡船記念ビール、さらには青函連絡船絵葉書セット、コースターなども置かれていました。この部屋、窓が無いのですが、夜だし外など見えないから問題無いのか。

ちなみにシャワー室が別にあったらしいのですが、どうも現存しないみたい。


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