さて、ではいよいよ青函連絡船「八甲田丸」の見学に入ります。

でもって最初にちょっとだけ触れて置くと、筆者は博物館展示となった青函連絡船の見学はこれが二回目でした。東京晴海にあった船の科学館で「羊蹄丸」の展示を2009年に一度見ているのです。ただしこれは最低の経験でした(涙)。



1988年3月13日、ホワイトデー前日の日曜に運行終了となった青函連絡船ですが、とりあえず1988年まで在籍した客船型の青函連絡船は5隻ありました(ただし他にも貨物車両を中心とする車両運搬用の連絡船が2隻あり、繁忙期にはこれにも乗客を乗せて運行された)。

この羊蹄丸と今回青森で見学した八甲田丸、そして未だ見ぬ函館で保存されている摩周丸。後は長崎でホテルになっていた(2005年営業終了)大雪丸(ちなみに中国に売却後、行方不明)、あとはクルーズ船として現役続行した十和田丸の五隻ですね(ただし1992年でこれまた速攻で退役、解体済み)。

その最後の五隻の中の一隻であり、1996年から2011年まで、15年近く東京で観れた青函連絡船がこの羊蹄丸なのですが、筆者は一度しか訪問していません。理由は簡単、最低な展示内容だったからです。



入り口を入るといきなりこれ。青函連絡船はアヴァンギャルドな攻めた内装の船だった…わけではなく、船の科学館での展示に合わせ、本来の出入り口を改装してしまったもの。なんで貴重な保存船にそんな改造を施す必要があるの、これ考えた人の頭の構造はアザラシ以下なの、以外の感想がありませんでした。



そして死ぬほど衝撃を受けたのがここ。一番見たかった車両収容甲板がこれなのでした。ナニコレ、というと青森の市場を再現したジオラマ展示。なんで?というのは私が聞きたかったです。

世界でも数少ない海上の、しかも公海まで出て運行されていた鉄道連絡船の内部構造を見に来たのにこれ。辛うじてディーゼル機関車が一両置かれていただけ、全ての構造物は撤去されてしまっており、就航当時の面影を知る事は不可能です。

…マジで?馬鹿なの?私は青函連絡船が見たかったのよ。こんな展示、わざわざ貴重なこの場でやらんでも、どこでも出来るでしょ?



ショック状態で一帯をウロウロしましたが、車両甲板の構造はほぼ全て撤去されてしまっていたのでした。なんなのこれ?こんなもの、貴重な連絡船の構造を破壊してまで造る必要があるの?馬鹿なの?



そして船内の大半が見学不可なのです。ごく一部だけ入れる船内はこんな感じに勝手に改造したもので、当時の面影を感じさせるものはゼロ。なんでわざわざ船内を破壊してから展示したの?何の意味があるの?



いやまあ、よく出来た模型だと思いますが、これ、青函連絡船で展示する意味ある?



数少ない見学可能カ所の一つ、艦橋部。一見するとここは無事に見えますが、多くの備品が取り外されており丸裸のような艦橋でした。

といった展示だったのが船の科学館の羊蹄丸だったのです。悪夢としか言いようが無い展示で、正直、軽いトラウマでした。こんな馬鹿な展示をする博物館は滅んでしまえ、と思っていたら見学から二年後に本館と羊蹄丸の展示は終了、事実上船の科学館は閉館となってしまったのでした。ごめんね。ちなみに羊蹄丸はこの後、2013年に解体されてしまって現存しませぬ。

さて、このトラウマを青森の八甲田丸は振り払ってくれるのか。結論から言えば、完璧にこの悪夢を払拭してくれる素晴らしい展示でした。ありがとう、八甲田丸、そして青森の皆さん。といった感じで見学に行って見ましょうか。


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