その先には巨大なクレーンが並ぶ工場が見えました。極洋船舶工業の看板があり、帰宅後に確認したら、その名の通り、かつては捕鯨船の修理をやってたようです。対岸から見るとドックがあるので造船所かと思ってしまいますが、基本的には修理のみだとか。立地的に自衛隊とも関係あるのかと思ったんですが、基本は民間船、あとは海上保安庁の船が入るくらいみたい。 ちなみにこの一帯がかつての高野島となります。 でもってこの工場の端っこにはなぜか船舶用レーダーが回転してました。かなり大型で、長距離用に見えますが位置が低いので湾内を監視するのが精一杯に見えます。しかしなんで?夜な夜な北朝鮮のスパイが上陸を試みたりしてるの? そこから沖ノ島に向かう道。海軍基地時代から残るものです。さすがに舗装はされてますけどね。 その先になぜこんな場所にと言う感じである駐車場と展望休憩所。…いやホンマ、なんでこんな中途半端な場所に? ついでに奥に見えてる鉄筋コンクリートの建物は海軍関係ではなく、明治期に建てられた水産講習所(めちゃくちゃ簡単に説明するなら東京海洋大学の前身。戦前、農商務省の管轄だった)の高島実験場跡の建物です。アワビやロブスターの養殖研究をやってたとされます。1930(昭和5)年に一帯が海軍の施設になった時に放棄され、以後、海軍が利用していた可能性もありますが詳細は不明。 内部はかなりしっかり残っています。関東大震災時、この一帯は2m近い海岸線の隆起があったんですが、それを乗り切ってるわけですから大したものです。 ちなみに昭和の末期まではもっと多くの構造物が残ってたんですが、今ではこの建物だけのようです。この高島実験場は1909(明治42)年の設立とされるので、もしこの建物が当時のものなら、現存する日本の鉄筋コンクリート建築の中では最古の部類となります。今からでも保護するべきだと思うんですけどね(日本最古の鉄筋コンクリート建築物は恐らく海軍佐世保基地の炊飯所と潜水具倉庫で1904(明治37)年建築。現存はしない。以後、関東大震災前までの鉄筋コンクリート建築で現存するものは極めて少ない)。 |