余呉駅到着。今回も結構降りる人いました。あと関西系の車両の車両先頭の左右カバー板、JRでも付けているのね。首都圏の人間から見ると、それは過剰な安全策のような気もしますが…。



ちなみにこれが駅前の駐車場。駅の規模を考えるとかなり広く、付近の人はここまで車で来て米原経由で大津、岐阜方面まで通勤に出たりするのでしょうか。

ちなみに画面中央付近で陰になっている尾根の上にあったのが岩崎山砦。ここと堂木山砦で湖岸北部の平野口を封じていたのです。ただしここに柵や堀があった、という記録は無し。すなわち罠ですな。そしてその罠を逆利用したのが前田利家、その作戦を潰したのが配下にあった佐久間玄蕃でしょう。同時に秀吉と利家の高速の読み合いによって合戦は最後の大クライマックス、日本の合戦史上未曽有の大乱戦を向かえ、玄蕃のポカと飯浦の切通の突破で、紙一重の差で秀吉が勝ったと筆者は妄想しています。秀吉時代の記録では全て利家の活動が消されてしまってますから、あくまで妄想の域を出ませんが。



では本日の宿に向かいましょう。再度湖岸北部を歩きます。



この辺りが最後の決戦地。画面左手が賤ケ岳です。一切の記録はありませんが、その方向から秀吉が突っ込んできて最後の退路を断って決着となった、というのが筆者の推測。あの男ならやります。

あと一帯は一面の平野で当時でも田だったと思うのですが、合戦はちょうど田植え直前の季節で、まだ泥濘にはなって無かったと思います。逆にいえば合戦にうってつけの広大な平地だったはず。



おそらくヒメイワダレソウと思われる群生。キレイな花なんですが、強力な繁殖力を持つ帰化植物で、こんな場所にまで進出しているのか、と驚く。

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