さて、では下山を開始。やはり道は広く、恐らくこちらにも山上の街道みたいなものがあった気が。 間もなく木之本の郷が見えて来ます。こうしてみると山地に囲まれた鍋底のような土地なのが判ると思います。ここに羽柴軍が入ってしまったのが後半戦の山岳砦戦の鍵だったし、前田利家がその失策を見逃すとは思えぬ、と筆者は考えているのですが、その辺りはまたいずれ。 さて、神社の境内に戻って来ました。妙に広い空間があるので、ここも往時にはもっと多くの建物があったんだろうなあ、と思う。 後は今日の宿がある、余呉湖畔に戻るだけですが、帰りの列車まで少し時間があるので木之本の街を歩いてみましょう。旧街道沿いの街並みを感じるステキな土地でした。 アルバイト募集の看板があるお寺だと思って写真を撮ってたんですが、帰宅後に秀吉が本陣を置いたと伝えらえる木之本地蔵院だと気がついた。ただし秀吉が本陣が置いたのは恐らく柴田軍が焼き払った後の空き地で、現在の建物は江戸期に再建されたもの。それでも見学して置きたかったです… |