その先にあった案内。ここは大きく分けて南郭(くるわ)、北郭、西郭、それらに囲まれる形で最高部に位置する主郭から成るようです。ここまで大規模とは思ってなかったのでちょっと驚く。この砦は合戦への関与としては恐らく初日の夜に一時的に秀吉が入っただけで終わるのですが、やはり日本の合戦史上最大規模の戦いだったんだよなあ、と思う。 頂上付近には土塁とそれを抜ける道が無数にあって、驚く。戦国期の山岳城砦ってここまでの構造を持つのね。ついでに現状は山林で視界が一切無いのですが、標高と周囲の山の高さからして、北国街道沿いにかなり先まで、おそらく堂木山の砦辺りまでは見通せたはず。 所々にある切り株にあった火の用心の貼り紙。なぜここにと思うんですが…。 さて、かなり興味深い訪問だったのですが、写真だけで見てもよく理解できないと思うのでその辺りは割愛。撤収に入りましょう。 山頂付近、すなわち砦跡周辺、視界はほとんど無いのですが、一部だけ植林が伐採された場所があり賤ケ岳が見えました。正面のちょっと尾根が盛り上がっている辺りが賤ケ岳の砦です。両者は視認できる距離ですがさすがにちょっと遠く、このため右側手前の尾根、ここからはちょっと見えてない位置に大岩山の砦が築かれ、ここ田上山砦と合わせて北国街道を封じる形になるのです。 |