間もなく林道から登山道が分岐する地点に。600m先となってますが、標高差を考えるとそれなりにキツイ経路になる予感。



その登山道。これもかなり整備されており、一種の街道だった可能性あり。車や鉄道が無い時代の道はそれほど平地に拘らない面が有るんですよ。



途中で立派な石碑があったので見てみたら、ここはウチの神社の所有山林、という内容でした。…そんなんで石碑建てているの、初めて見ました。



その先にあった上の宮跡の案内。意富布(おおふら)神社はそもそも山中にあったらしく、その跡地。信長か柴田軍、どちらかが焼いてしまって、以後、再建されて無いようです。というか、本来こっちに石碑を建てるべきだよなあ、と思う。



その先から明らかに人造の土塁や門構造跡と思われるものが現れて来ました。ただし既にざっと30分は掛かっており、朝からの山岳戦に疲れていた筆者は結構ヘロヘロでした。初日の戦闘を終えた柴田軍もこの状態だったんだろうなあ、疲れが取れる前に羽柴軍の主力と戦う事になったはずで、よく頑張ったなあ、と思う。

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