さて、では戦闘中に羽柴軍の本陣が置かれたとされる田上山城跡に入りましょう。ただし筆者は大半の兵力は予備戦力として平地の木之本に置いてあったと思ってますが。それでもかなりの規模の砦で、現地では田上山城とも呼ばれていました。実際、古くから浅井・朝倉連合軍がここに砦を築いていたようで、思った以上に大規模なものでした。少なくともこの合戦に合わせて急造されたような物では無いでしょう。とりあえずその辺りを現地の地図で確認。



地図で見て、あれこんなに大規模なのと驚く。山頂323m付近はかなり広い平地になっているのですが、恐らく人工的に整地されたもので、全長で南北600mを超える規模になっています。東西はやや狭い細長い構造ですが、それでも最大幅80mくらいはあるので楽に数千の兵が入ったでしょう。あと思った以上に標高も高い。以前も書いたように琵琶湖一帯は高地なんですが、それでも120m前後なので、標高差ざっと200m、凡そ40階建ての超高層ビルに近い高さがあります。…登るのね、これを。先の大岩山周辺でも150mほどの高低差を突破したので、この日だけで350mほどの高低差を超える事に。もはや軽い登山ですね。でもまあ、せっかく来たのだから見て行きましょう。

ついでに城跡の先にある呉枯の峰は「くれこのみね」と読むらしいのですが、本来は余呉湖と同じく「ごこのみね」じゃないかなあ、この呉は呉服との呉と同じく漠然と大陸系の存在を示す名詞じゃないかな、と。



では神社横の登山道入り口から出発ザンス。



すぐにかそれなりの高度に。あれ、これ結構キツイ登り道だと気がつくが、まあ行くしかありませぬ。ついでにこうしてみるとやはり木之本一帯はそれなりの規模の街ですね。ちなみに正面に見えている山の向こうが琵琶湖です。



最初はよくある林道を歩く経路でした。



そこで見た罠。大きさからして猪かなと思ったんですが、後で一帯にはクマも居ると聞いたのでそっち?ただし完全に放置状態であり、キチンと動作するのかは怪しい感じでしたが。ついでに手前には朽ちつつあるベンチがあり、どういった場所なんだと思う。

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