というわけで再び戻って来ました木ノ本駅。この駅もステキな駅舎でいい感じ。 でもってその目の前にあったオシャレな建物が江北図書館で、明治期に設立された滋賀県で最古の図書館だとか。ただし現存の建物は1937(昭和12)年に農耕会の庁舎として建てれらたもので、1975(昭和50)年から図書館として利用されいている、との事。ぜひ中を見たいと思ったのですが、残念ながら休館日でした…。 では目的地の田上山砦に向かいます。木之本の町の東に位置する意富布(おおふら)神社の境内から登山道がある、との事なのでそちらに向かいます。そして木之本、思った以上に大きな町で、しかも雰囲気が良くて、ああ、昔ながらの街道筋の町なんだなあ、と思う。時間があればゆっくり歩いて回りたかったです。 そしてここも水路の多い集落でした。ああここは近江なのだと思う。 ここが意富布(おおふら)神社のようです。陸の太鼓橋があってなんだこれ、と思ったんですが、下には流れがあってどうやら暗渠にしてしまったらしい。酷いことするねえ…。ついにで意富布(おおふら)という名は初めて聞いたのですが、太鼓橋があるという事は天神様?と思ったらちょっと違いました。先に見た田上山、この神社の裏手の山は元々は大洞(おおほら)山と呼ばれる霊峰で、それにちなんだ名前なんだとか。ついでに大洞山という名の山は関東から長野にかけていくつかあり、どれも恐らく渡来系の人々に縁がある一帯に位置します。 神社の説明板を読むと主な祭神は建速須佐之男命、すなわちスサノオ。よって牛頭天皇すなわち祇園神社の系統かと思ったんですが社名にも解説板にもそういった説明は無し。そもそも創建は飛鳥時代とされているので、牛頭信仰前から純粋にスサノオを祭っていたのか。ついでに大穴牟遅命、すなわちおオオクニヌシのミコトも祭られているので親子で祭神になっているわけです。そしてどちらも出雲系の神であり、この一帯は地名からして大陸系の人たちが古くから住んでいたと思われることから、やはり国譲りの神話って古い大陸系の人々を新しい大陸系の人達が征服した話じゃないかあ、と思う。 以下、完全な脱線です。千葉市と東京の間にあるギャンブル大帝が船橋市(私の知る限り日本で唯一二つの競馬場があって、さらにオートレース場もある。ついでにららぽーと発祥の地)。ここに太古の昔からあるのが日本最小の大神宮として微妙に地元の人々から親しまれている気がしなくもない船橋大神宮。その正式名称は意富比神社で、こちらは「おおひ」と呼びます。 でもって意の字を「おお」、「おう」と読ませるのは意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)が由来でしょう。極めて端折って説明してしまうとこれは桃の神様でイザナギが黄泉の国から脱出する時、桃の実を投げ敵を退けた話に由来します。この辺りは中国の神仙思想が桃を神聖なものと見なした影響と思われ、すなわちやはり大陸系の匂いがします。この辺りを追いかけると出雲系の大陸人がどう日本国内に広がったのが把握できそうで、もうちょっと研究があってもいいと思うんですが見たことが無いですね。まあ、私も深入りする気は無いですが。 |