さて、では余呉湖畔西岸の北上を開始しましょう。ちなみに正面に見えているのが賤ケ岳の砦跡。頂上付近の木がまばらになっているのが判りますかね。 アップで。中央やや左側の木がまばらな場所が砦跡、そこから右に同じ高さの尾根が続き、右端、ちょっと画面から切れた先に飯浦の切通があります。その下、湖岸に車が停まっている辺りまで街道が続いてるわけです。その辺りが合戦後半の激戦地だと思われます。 湖岸にある散策路を歩きます。めちゃくちゃ気持ちがいい道でした。でもって次に気になっているのはこの先、湖に突き出している岬部分。新羅神社があって新羅崎と呼ばれており、この一帯が古代朝鮮半島からの移民の入植地だというのが判る地名となっています。 賤ケ岳の砦から見るとこんな感じに湖上に突き出してるのが新羅崎。しかもちょっと高台になっており、個人的には柴田軍の本陣、少なくとも賤ケ岳攻め部隊の指令所があったんじゃないかな、と思っております。周囲の高台が全て羽柴軍に抑えられている状態で一帯の視界が確保できる場所は他に無いと思うので。 その新羅崎。御覧のように湖面から見るとかなりの高さがあるんですよ。完全な推測ですが、どこに居たのかまともな記録が残っていない前田利家はここに居たんじゃないか、と個人的には考えたりもしています。 |