これが西に向かう対岸の尾根筋道の入り口。これも90度カーブで中に入れる構造で、砦の防御構造であろうな、と思われます。賤ケ岳の砦、思った以上に大規模で、広い面積だったようで、正直、意外な発見でした。



上から見た賤ケ岳方面の尾根筋道。明らかに人の手が入って堤防というか城砦の防壁担っているのが見て取れます。下の切通から上に上がる道はこれも直角折れで上に繋がっており、やはりここには簡易な城門構造があったはず。



ただし上に出てしまうとほとんど道が無くなってしまいました。切通の対岸部までが砦で、その先は手が入って無いように見えます。この後、どんどん道が見えなくなり、さらに上り下りがシンドイ地形になって来ます。どう見てもここを軍勢が突破するのは無理だな、と思われたので途中で撤収、切通まで戻ります。ちなみにほとんど人の手が入って無い山中なのに下草が少ないのに驚く。豪雪地帯だと、春になってから直ぐ草が生える事が出来ず、こんな感じになるんでしょうか。

ただし帰宅後、登山系のサイトで確認した所、やろうと思えばここから尾根筋伝いに権現峠までは行けるようです。それでもやはり高速移動を要求される千人単位の軍勢が使ったとは思えない、というのが筆者の結論です。斥候部隊などの経路になった可能性はありますが主力部隊は通って無いと思います。あの時は真っ暗闇の夜中に移動してますしね。



切通の上まで戻って来ました。やはり城門構造だよな、と思う。途中まで数で圧倒していたはずの柴田側が最後までここを落とせなかったのも無理は無いでしょう。



切通の横には明らかな土塁跡、しかも石で補強してある本格的なモノが残っていました。ここは浅井支配時代から砦があったとされますが、そもそもその時期から結構本格的な山城だったのでは、という気も。合戦のために急遽造られたにしては本格的な構造過ぎると思われるのです。

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