では賤ケ岳の砦を離脱致しまする。

ここは本当に眺めが良く、恐らく秀吉がここで指揮を執ったのは事実だろうと思います。少なくとも戦闘の後半に入ってからはここに居たはずです。ただし戦場の余呉湖北岸まで直線で約3qあり、無線も電話も無い時代、標高400mを越える山頂から対岸まで伝令を走らせてもまず間に合いませぬ。じゃあここで指揮を執るのは無理じゃんなのかと言えばそうでも無い、という点を確認するのも今回の旅の目的の一つでした。この点はまた後で。



でもってそこから下る道はかなり幅があって歩きやすく、恐らくこの一帯まで完全に城砦化されていたのだろうなあ、と思わせるものでした。



この尾根筋の道は土塁と言うか防壁を兼ねていたようにも思われます。



かなりの急斜面もあるのですが、キチンと迂回路があります。自然の沢や尾根筋を単純に利用しただけの登山道ではなく、明らかに人造行程を経た道です。



飯浦の切通に出ました。その名の通り、尾根筋を分断して下を道が通っています。向こうの尾根筋にも柵と道が見えるので、このまま尾根伝いに権現峠まで行けるかな。この位置より南に柴田の兵は居なかったので、ここが砦正面と考えていいでしょう。ちなみに左に向かうと琵琶湖岸の飯浦の郷、右に向かうと余呉湖です。

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