そこからも細い道が続きます。しかも結構な距離がある。ここまで距離があるとは予想外でした。やはり実際に来てみないと判らんことは多いな、と思う。



首荒いの池、という案内板。尾根筋の上で池?と思ったんですが、この下の湖畔にあるらしいです。説明文がとても判りにくいですが、大岩山砦の主で柴田軍に討ち取られた中川清秀の首が洗われた場所とされるようです。ついでに捨てられた胴体は地元民が大事に守ったとも。秀吉からの報奨を期待したのでしょうか。案内にあるようにここまでで賤ケ岳から2.3q、山間の道ゆえ40分近くが経過しています。これほど時間が掛かるとは考えていなかった筆者、少し焦り始める。



でもってここから急激な下りに。そういえば尾根の先にガクンと落ち込む場所があったなと思い出す。となるとそろそろ砦跡のはずですが…。



その先で結構な広さ&明らかに土塁跡と思われる遺構が残る場所に出る。ここかな。



ここでした。左はこの先に進む尾根筋道、右が砦の本丸にあたる場所への道です。ちなみに砦の標高は240m前後、賤ケ岳より170mも低い場所にあり、麓の街道筋に直ぐにも兵力を降ろせる砦だったことが伺えます。既に述べたように一帯は標高110mくらいあるので、実際の高低差は60m前後でしか無いのです。



現地にあった余呉観光協会による案内図で、大筋の構造を。左の細い道から入って来た事になります。全長で120m前後、山上の砦としてはそれなりの規模です。ただしイエスズ会の高山右近から聞き出した報告によると、千人近い兵が入っていたとされます。それはちょっと無理な規模なので、恐らくすでに失われた出丸等があったと思われます。

ちなみにこの案内図、一帯の砦跡に置かれているのですが、判りやすい、良く調べられている、と大変すばらしいモノでした。ただし下の日付の通り、13年も前のものなので朽ち果てて地面に半分埋まっている、というものも多く残念でした。これ、おそらくイラストレーター系のソフトで文字と図版を組んでると思われるので、PDF化してWebで公開するとか出来ないものでしょうか。

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