その先で再び細い山道に戻る。結構上り下りがあり、あれ、これは思った以上に体力要るぞと気がつく。まあ気がついた所で打つ手は無いんですが。



道は一番高い場所、尾根筋を走って居るんですが、左右は樹林でほとんど視界は無し。なので戦国期の砦は周囲の樹木を片っ端から伐採して視界を確保するわけです(火攻めを避ける意味もあったと思うが)。「もののけ姫」のラストで皆で立てこもった砦がまさにそんな感じでしたね。



どんどん普通の山道になって行く。賤ケ岳の砦と大岩山の砦までは連絡道で連結されていたものの、砦としては完全に独立していたのだ、とここで確信する。やはり賤ケ岳は物見を主な任務とする砦だったのでしょう。

でもって奥から人が歩いて来る。ええ、こんな場所でと思ったんですが、この行き帰りだけで10人近い人とすれ違う。どうもこの一帯、地元では人気のハイキングコースのようです。まあ高低差は最大で300m前後(この一帯は平地でも100m近い標高がある)、賤ケ岳は眺望もいいですしね。というか、意外にリフト使わない人、多いのね。



細い道を進みます。この辺りからは尾根筋の上を歩くので高低差は無く、かなりの速度で移動可能。この一帯も杉の木が若いので、恐らく戦後の植林があったはず。



ちょっと開けた場所に出ました。まだ大岩山砦では無いよな、と思ったら物見台があったらしく、秀吉は合戦当初はここで指揮を執り、以後、戦場の異動に伴い賤ケ岳に移動した、との事。猿が馬場、というらしいですが凄い名だな。その名の通りなら山上砦に馬を上げていたのか。日本の軍馬は確かに多少の山道なら走れますが、ここまで入れたのかなあ。

ちなみに秀吉がここで指揮云々は当時の記録には一切無いので、地元の伝承だと思われます。この一帯の地元の皆さんの伝承は馬鹿にできないので、その可能性はある、として置きましょう。ただし余呉湖西岸の指揮を執るのに賤ケ岳に移動した場合、むしろ戦場から遠くなってしまいますが。

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