砦跡の一番高い場所、本丸にあたると思われる一帯はキレイに整備されています。その東側から西の入り口方向を見る。樹木はほぼ伐採されているので、この山岳砦がどういった視界の場所に造られたのかがよく判ります。木之本周辺から琵琶湖岸、さらには北の柴田軍山岳砦一帯まで見渡す事が可能なのです。南から戦場一帯を見渡すには理想的な場所でしょう。 よって本来なら物見砦でしょう。東の街道筋からは遠すぎるし、湖岸に降りるには距離があり過ぎます。それがなぜ戦闘に巻き込まれてしまったのか。まあその辺りはまた別の機会に考えるとしましょう。 前回、まともな写真撮影に失敗した武者像。まあ、個人的に言いたい事は山ほどありますが、言っても野暮ですね。 そこから一段低くなった辺り。こちらは幾つかの曲輪に分かれているようにも見えました。ちなみに前回来た時、ガイドさんが居たのがこの場所。今回は平日と言う事もあってか不在でした。 さて、ではまず東の尾根筋の北にあり、賤ケ岳の合戦の始まりにして最初の激戦地となった岩崎山&大岩山の砦を見に行きます。賤ケ岳から見ると右手を北へと延びるこの尾根筋ですね。矢印のちょっと段差になっている辺りに大岩山砦があったはずなんですが、あれ、改めて見ると結構遠いな。 凡その場所は判っていたのでよく調べずに現地に乗り込んでしまったのですが、実は高低差で約150m、片道2.5qあると帰宅後に確認して知りました…。当然、予想外の本格的な山歩きになってしまうのです。 では砦跡の東端部にある山道からそちらに向かいましょう。ちなみに現地の案内板には砦の名はありませんでしたが、一本道なので大丈夫。 |