さて、トヨタ博物館の記事を再開としましょう。今回はアメリカの戦後編。

第二次大戦はアメリカの自動車業界に取っても大きな転機になりました。世界最先端と言っていい量産技術を持つアメリカの自動車メーカーはその戦時兵器生産体系に組み込まれ、大きな利益を得る事になったのです。特に創業者のヘンリー・フォードが安価で造りやすいT型フォードに執着し過ぎた結果、売上でもシェアでもGMに追い抜かれた所に世界恐慌が直撃、経営が傾いていたフォードに取ってはまさに恵みの雨でした。これで経営を立て直して同社は(引き換えにそのストレスから二代目、エドセル・フォードは戦中の1943年に病死するが)戦後もアメリカを代表する自動車会社として君臨し続ける事になります。

ちなみにアメリカの自動車会社はジープや戦車にトラックと言った車両関係だけではなく、航空機の生産にまで関わっていました。P-51を生産したノースアメリカン社、アメリカを代表する液冷エンジンメーカー、アリソン社はGMの配下でしたし、フォードは自動車メーカーなのに四発エンジンの大型爆撃機、B-24を量産しています。ちなみにイギリスにあったフォード工場ではあの傑作エンジン、マーリンを委託生産してますし、そのマーリンエンジンをアメリカでライセンス生産したのは高級車メーカーのパッカードです(いわゆるパッカード マーリン)。戦後は戦車の製造で稼ぎまくるクライスラーもM-4戦車の1/3を生産、さらにB-26、B-29の胴体、主翼の一部を生産も請け負っていました。

この戦時中に得た利益と先端の技術を基に戦後のアメリカ自動車会社は一時的とはいえ、世界を支配するほどの存在になって行きます。日本の戦後期にまともに走る車と言えばアメリカ車しかなく、ヨーロッパでは戦前からイギリスを支配していたフォードに加えて、ドイツではGM配下のオペルが大きなシェアを維持する事になるのです(長らくフォルクスワーゲンに次ぐ二位だったはず)。

やがて1970年代に入り日本車とドイツ車によって世界から駆逐され、最後にアメリカ市場に閉じ込められるまで、アメリカの自動車産業は世界最強だったと言っても過言では無いでしょう。その辺りの「最強の始まり」をまずは見て行きましょうか。



キャデラック フリートウッド 60スペシャル(Cadillac Fleetwood Sixty Special )1948年型。

GMの最高級ブランドであるキャデラックを代表するシックスティー スペシャルの三代目、キャデラックブランドで戦後最初のモデルチェンジとなった車です。ちなみに先代の二代目はよりによってアメリカ参戦直後の1942年に発売になったのですが、同年2月から民間車両の生産が止められたため速攻で発売が終了、戦後の1946、47年の二年間だけ再度生産が再開されいていました。ちなみに戦後、日本占領軍のボス、マッカーサー将軍が使っていたのがその1942年型です。

それを置き換える形で戦後にデビューしたのがこの車です。戦後世代、最初の高級車と言っていいのですが、そのデザインは未だ戦前の特徴を受け継いでいる印象を受けます。実際、全体的な雰囲気は先代、1942年型と大きく変わっていません。



ちょっと印象的なのが末端部が跳ね上がった後輪のフェンダーでしょう。その前の空気取り入れ口も意味が無く、ただの飾りで、この辺りは第二次大戦の航空機、特に双胴のロッキードP-38の影響を受けたと言われてます。戦前から流行り始めた流線形ボディに加え、この尾翼型の飾りが戦後のアメリカ車の特徴の一つになって行くのです。



フォード カスタム 4ドア セダン(Ford Custom 4-Door Sedan) 1949型。

戦後、最初に発売となった完全新設計のフォード車がこのカスタムでした。Customには「特注の」という形容詞と、「慣習&慣例」といった名詞の大きく二つの意味があるんですが、どっちの意味なのかはよく判らず。ちなみに後に中間グレードの位置づけとなるカスタムですが(名称もカスタムラインに変更)、当初はフォード車の中では最上級グレードとして発売されていました。



1950年代に入ると大衆向けブランドのフォードもどんどん大型化、アメリカ車文化を形成して行く事になるんですが、この時代まではまだ大人し目、常識的な範疇の大きさでした(小さくはないけれども)。ただしそれでは既に売れない時代に入っていたのか、僅か2年、1951年まででこの車の製造は終了してしまいます。ちなみにこの車もさり気なく胴体後部に横ヒレが付いてますね。

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