お次は日本の三輪車、ダイハツのミゼット DKA。

1957年に製造が始まった三輪車で、1972年まで製造されていました。日本の三輪車ですから、当然前が一輪で後部が二輪となっております。ちなみにミゼットはMidgetの事ですから、あんまりいい意味ではなく、どうなのよと個人的には思いますが。まあMGの同名の小型スポーツカーからの拝借だと思いますけど、ちゃんと意味を理解してたのかなあ。

展示の車両は1959年型の初期型。1961年まで製造が続いた初期型はヘッドランプ一灯、屋根は幌で、左右のドアすら無いものでした。空冷2サイクル、249tの単気筒エンジンで8PSとの事。まあ正直、ちょっと非力ですね。 。



個人商店、零細工場向けの安価な商業車なので、基本的には一人乗りで後部は荷台しかありませぬ。 ハンドルもバイク式ですし。ちなみに後進はギアチェンジで普通に出来たはず。二代目、いわゆる丸ハンドル三輪車、MP型になると運転席は二人乗り、屋根もドアも付いて、もうちょっと車っぽい構造になるんですけどね。いわゆる昭和レトロで出て来る三輪車は、その二代目のMPの方でしょう。筆者の幼少期まで、そちらは現役で生き残っており、何度か見た記憶がありますし。その二代目と合わせて約33万台が造られたとされるので、当時の日本では大ヒットだったと思われます。

ちなみに前輪一輪の三輪車はバイクのようにコケます。我が家の父によると、昭和30年代の東京の交差点ではしょっちゅう、横転した三輪車を見たそうな。その辺り、 個人的には後輪のデフの設計が甘くて(思った以上に急旋回する)ロックしたんじゃないか、と疑ってますが。



お次は北の国の戦後の車、スウェーデンからやって来たサーブの92型。1949〜56年まで製造されたようですが、総数でも2万台前後だったようです。展示の車両は1951年型 。

サーブ最初の量産車であり、おそらくスウェーデン最初の量産車でもあると思われます。ちなみにサーブと言えばスウェーデンの航空機メーカーですが車を造っていたのはサーブ自動車であり、厳密には別会社でした(航空機製造の方が親会社だったらしい)。764tで水冷2気筒2サイクル・エンジンを搭載、25HPを出していたとされます。ちなみに前輪駆動(FF)の横置きエンジンで、この点はかなり先進的な設計だったと言えます。

さらに1953年製造分まで車体色は何とも微妙なこの緑一色のみで、他の設定は無し、という潔い思想の製品。



狙ってやったのかは謎ですが、この車のデザインは空力性能が高く、おかげで非力なエンジンの3速ギアながら100q/hを超える速度が出せたとか。恐らく正面の形状ではなく、後方に滑かに空気を流す車体後部の影響だと思いますが(余計な渦を産まないから抗力が少ない)、詳細は不明。このデザインが風洞実験に基づくのか、ノリと勢いの結果なのかはよく判らず。

ドアノブの位置から判るように、この時代の車に多い構造、後方に向けて開くドアです。ちなみに一見すると4ドアっぽいですがよく見ると2ドア、さらに言うならケツは一体設計で、開きません。すなわちトランクは無しで、荷物は前部のドアから車体後部にある小さな空間に詰め込んでいたようです。この車、実用性は限りなくゼロでは…。 まあスウェーデンとしては頑張った、という感じでしょうか。


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