世界83億9千万にのメッサーシュミッタ―に大人気の三輪車、メッサ―シュミット KR200。戦後の西ドイツで1955年から64年まで製造されました。ここの展示の車両は1955年型なので、極初期型ですね。200は恐らくエンジン排気量の数字。これも税制に関わる名前らしく、西ドイツは馬力ではなく排気量で税額を決めていたのだと思われます。

ただしその名に反して、メッサーシュミット社自身はその開発に関わって居ません。設計者のフェンド(Fritz Fend)はメッサーシュミット社の人間ではなく、外部からの企画持ち込みで造られた車です。フェンドは大戦中はドイツ空軍で航空関係の技術仕官だったとされますが、謎多き人で詳細な経歴はよく判りませぬ。。ちなみにこのKR200の前には同じフェンドの設計によるKR175というもうちょっと小型な三輪車もメッサーシュミット社で製造していました。その辺りをまとめてカビンヌロラー(Kabinenroller/車体付スクーター)とも呼ばれていたようです。

ちなみにメッサーシュミット社は1956年からは航空機生産が再度許可されたため(それまでは敗戦国として禁じられていた)、早急にこの車への興味を失ってしまいます。よって以後は生産設備をフェンドが買い取り、FMR社(Fahrzeug- und Maschinenbau GmbH Regensburg)での製造となっています。ただし以後もメッサーシュミットと呼ばれていたようで、FMR KR200という呼び方はあまり見ません。それでも鼻面に付けられたエンブレムは1957年前後以降はメッサーシュミットのものからFMRに変わっています。展示の車両は生産初年度のものなので、メッサーシュミットのエンブレムですね。

二人乗り、191tの空冷2気筒10PSのエンジンながら、今見ても古臭くないデザインだと思います。ちなみにバイクに近い構造のため後進ギアは無く、エンジンを逆回転させて後進するという斬新な構造でもありました…。天井まで透明な航空機の天蓋のような室内ですが、さすがに問題があったようで、オプション(別売り)パーツとして室内の日除け道具があったとされます。



日本の場合、三輪車と言うと前輪一輪、後輪二輪ですがドイツでは前輪二輪、後輪一輪が多く、次に見るBMWのイセッタなどもこの構造です。ちなみに車体横の下部、変な場所に開閉レバーがありますが、この車にドアはありませぬ。ではどうやって乗るのか、と言えばあそこから車体の上部がパカッと横に開く構造なのです。すなわち同社の戦闘機、Me109と同じような構造であり一部のアレな大人が大興奮するのも判るでしょう(笑)。ちなににハンドルも旅客機の操縦桿を連想させる形状で、カッコいいのです。

ただし生産開始は戦後10年経った1955年だったため、既にそれなりに経済は回復、間もなく普通の自動車が誰でも買える時代が到来しこのステキな乗り物の需要は急降下します(そもそもフォルクスワーゲンのTyp1という強力なライバルがあった)。このため輸出も含め10年間で3万台前後の生産で終わったとされます(日本語資料で良く見る4万台という数字は先代KR175と合わせた数だろう)。



西ドイツを代表するもう一つの三輪車、こちらも2名乗りのBMWのイセッタ(BMW Isetta) 。展示の車両は1959年製造の300型。この数字も排気量でしょう。

こちらは正面がパカッと開く冷蔵庫型の扉で知られる二人乗り三輪車ですね。なぜか後輪部分の車体に切り欠きがあるので、一見すると後輪を盗まれた四輪車に見えまする。

そもそもはイタリアのイソ(Iso SpA)社が開発した車ですが(ちなみに重工業系の会社で冷蔵庫も造っていた)、ライセンス生産したBMWの方が圧倒的に売れたため、こちらが有名になってしまいました。1955〜62年までに約16万台を製造。ちなみに本家イタリアのイセッタは1953〜56年の製造で1000台単位でしか売れなかったらしいですから、驚異的。

ただしドイツ人がイタリアの車をそのままライセンス生産する、というのはジャーマン魂のプライドが許さなかったのか、BMW社版のイセッタは徹底的に改造されていました。このため三輪で冷蔵庫式のドアという構造以外、本家のイセッタとはほぼ別物になってしまっています。エンジンもイタリア製は2サイクルだったのを4サイクルエンジンに置き換えてしまいますしね。

1955年発売のBMW イセッタ250は250t、12PSだったのですが、西ドイツの税制&免許制度の変更に合わせ、翌1956年には300cc、13PSのBMW イセッタ300となりました(展示車両はこれ)。1957年に4輪車のBMW600も登場するのですが(300と並行して生産された)、ここまで来るともう別の車と言うべきものでした。ちなみに600も二人しか乗れなかったため、当然、フォルクスワーゲン Typ1との競合に敗れ、わずか二年前後の生産に終わります(それでも3万5000台前後造ったらしいのでKR200並みには売れたことになる)。

 

今見ても独特の形状です。この小さい車体にガタイの大きいドイツ人が詰め込まれていた所を想像すると、ちょっと笑ってしまいますが、時代でしょうね。ちなみに身長1m90cmのゲルマン男が乗り込む動画を見た事あるので、意外に車内は広いのか。KR200がタンデム、縦並びの二人乗りだったのに対して、こちらは横並びの二人乗りでした。このため右ハンドル、左ハンドルが存在し、イギリスでライセンスされたBMWイエッタは右ハンドルです。ついでにハンドルは床から飛び出る形になっており、乗り降りの際はドアを開けると連動して前方に曲がるようになっていました。それでも乗り降りは大変そうですけどね。


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