ここからはちょっと毛色の変わった展示車両を紹介してゆきます。
 


戦前のアメリカを代表する高級車の一つ、パッカード トゥウェルヴ(Packard Twelve/12 数字表記ではなく、わざわざ文字表記するのが正式な名称らしい)の1939年型。1933年から第二次大戦開戦の1939年まで造られたV12気筒エンジンの高級車。最終的に5000台以上が生産されたとされます。当然、その名は搭載する12気筒エンジンから取られた数字で、7.8リッターの巨大エンジンでした。でもってなんか旗飾りが付いてて変な車と思ったら、なんどフランクリン・ルーズベルトの大統領専用車として使われたものだとか。あれま。

ちなみにこれほどの高級車でも当時の車載ラジオはオプションであり、別料金が必要でした。

ちなみにパッカードは世界で初めて量産車にV12エンジンを搭載した会社で、ツイン シックス(Twin Six/これも12気筒を意味する)という名前で、1916年に発売を開始しています。このトゥウェルヴのエンジンはそのV12の改良型で、最終的には175HPを出したとか。意外にショボい数字ですが、最大馬力時の回転数はわずか3200rpm、このため逆にトルクは39.7Kgf・m(390N・m)と化け物みたいなエンジンになっています。乗り心地と加速があれば速度なんていらぬ、という設計なのでしょう。この低回転数高トルクという設計は、航空エンジンみたいですね。参考までにマーリンエンジンの最大出力が3000rpm前後、DB601系が2500rpm前後。どちらのエンジンも進化に伴う馬力向上は回転数を増やすのではなくトルク増加という「実力」でやっています(馬力=トルク×回転数。当然、出力を見る数字では無く、仕事の効率、すなわち速度への貢献を見る数値となる)。航空エンジンはプロペラの回転速度を上げ過ぎると音速を超えて機体を引っ張る揚力が生じなくなるため、そういった設計になるのです。

ついでに当サイトでは何度か書いてますが、このパッカードは第二次大戦中、あの傑作機P-51Dに搭載されたロールス・ロイスのマーリンエンジンをライセンス生産した会社です。



ドアに輝くアメリカ大統領の印章。

なにしろ大統領を四期務めたフランクリン・ルーズベルト(まだ大統領三期以上禁止の憲法改正前。1933年〜1945年、最終任期の一年目に病死)ですから、任期中に多くの専用車両を持っていました。史上唯一の車椅子が無いと移動できなかった大統領であり、その車選びには色々と条件が伴ったようです。このため乗り降りに広い空間が確保できる、大形のパッカード トゥウェルヴを好んだ、という記述もありますが、それはこの前の1935年式の方ですね。この39年式は乗り降りが不便になってしまったため、それほど使われていないと思われます。1939年以降だと、フォードのリンカーン Kシリーズを改造したいわゆる「サンシャイン スペシャル」が主に使われていたはず。実際、写真などを見ても、この展示車両に乗っているのは数が限られます。



いずれにせよ、ホンモノの大統領専用車の一つなのは確からしく、どういった経路でトヨタ博物館が入手したのか気になるところ。その辺りの解説は一切無いので不明なんですが。



1942年8月6日、ワシントンDCの海軍工廠を訪れ、車内から声明を読み上げるルーズベルト大統領。恐らくこのパッカード トゥウェルヴと思われる写真の一つです。F.ルーズベルトの場合、歩いて演台に向かう事は不可能なので、こういった車内からの演説のためのマイクを置く場所、ケーブルを取りまわす空間が車両に必須でした。この車、それにはちょっと狭かったようです。

ちなみに当時の世界の偉い人がもう一人、この車を利用していました。あのソ連の人殺し大好き独裁者、ヨセフ・スターリンです。レーニンはロールス・ロイス大好きでしたが、スターリンはそれを採用しませんでした(イギリスの工作を警戒した説アリ)。ちなみにアメリカ側の資料だとルーズベルトが寄贈したとされますが、ロシア側の資料ではソ連政府がまとめて14台を購入、その内の2台がスターリン専用だった、とされます。1936年ごろからソ連製のZISに更新される1950年まで、約15年ほど使用されていたようです(ただし1955年まで保有され、高級官僚などが乗り回していたらしい)。



スターリンがこのパッカードに乗っているのを記録した写真は少なく、唯一筆者が見つけられたのが、この1949年、トゥシナ(Тушино)で開催された航空ショーに到着した時のものとされる写真です。ドアを見れば装甲&防弾ガラスで固められた車体なのが判りますね。言うまでも無く、呑気な車上からのパレードなんて用心深いスターリンはやらないのです。この位置、右側後部座席が彼の指定席でした。ちなみに装甲仕様はソ連が独自に改造した&パッカードが請け負った両説があり詳細は不明。ソ連側の呼称はそのまんま装甲車両(скрытого бронирования)だったとか。ついでにソ連向けのトゥウェルヴはエンジンがチューンされており(ただしせいぜい180馬力前後とされるので、おそらくトルクを上げている)、これによって装甲付車両でも150km/hが出たそうな。

ちなみにミグ戦闘機でおなじみ巫女やん、否、アーテム・ミコヤンの兄貴、有力な政治家だったアナスタス・ミコヤンはこの車で100q/h以上でぶっ飛ばしまくって、以後、60q/hを超えるなこの馬鹿、と怒られたらしいので、高速走行が負担になっていたのも事実でしょう。ちなみにミコヤンは1942年11月6日にスターリンと勘違いされて暗殺されかけてますが(サヴェリエフ(Савельев)事件)、この時、彼が乗っていたのが装甲パッカードでした。この時、負傷者は無かったものの、7.62oライフル弾は装甲を貫通していたとされます。

余談ながら、テヘラン会議の時、ルーズベルトが間違ってドアを開けてしまい、車外に落ちそうになった時に乗っていたのもパッカードのトゥウェルヴですが、あれはソ連政府の車です。当然、ルーズベルトを助けた運転手もソ連人。


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