お次は、おフランスのツーリングカー、すなわち当時のスポーツカー、ブガッティの57C型(Buggati Yype 57C)。
これも700台前後しか生産されて無いはずで、日本にもあったんだ、と驚きました。ちなみに1937年と1939年にル・マン24時間で優勝したブガッティ57型GとSは、このシャシ―に流線形の車体を乗せ、エンジンを強化したものです。

1934年から電撃戦でケチョンケチョンにされる1940年まで製造が続いた当時を代表するツーリングカーの一つ。これも機械式過給器、スーパーチャーを搭載、アルミブロックのツインカム3257cc エンジンで160hpを叩き出していました。…こうして見ると、やはりベンツの500K、意外に性能的にショボいんですよねえ。

ただし相変わらず直列8気筒、しかもサスペンションは独立懸架では無く固定式。さらにヘッドランプは車外に剥き出しで、これを1940年まで造っていたのかブガッティ、というのが正直な印象です。



独特のデザインで、カッコいいと言えばカッコいいけど、1940年でこれは古臭いだろう、と個人的には思ってしまう所ですね。ただしこれも高級車なので車体には幾つかのバリエーションがあり(ただし基本的にはブガッティの自社製で車体製造業者、コーチビルダーによるものでは無い)、もうちょっと洗練されたスタイルもあったのですが、それでもちょっと時代遅れの感は否めませぬ。



こちらもフランスの車、1939年製のドゥラージュ D8-120型(Delarge type D8-120)。

ドゥラージュは1905年にフランスで設立された高級車の製造会社で1953年まで活動していたようですが、正直全く知りません。この車の名前は8気筒で120HPの馬力という意味で、当時の車には珍しく、これ徴税馬力では無く実馬力です。エンジンは過給器無しの4750ccですから、当時としても特に凄いという出力でも無いのですけどね。

D8シリーズは1933年に発売になったドラージュのD8-15から生産が始まり(この15は税制区分を示すらしい)、ほぼ毎年進化しながら1937年に発売された120まで至ったようです。120は基本的に全てコーチビルダー製の車体だそうな。確かにカッコいいかも。ただこれ、車輪の左右幅に対し車体の左右幅が異様にデカくて、軽自動車の上にベンツの車体を乗っけたような異様なスタイルになっています。特に正面から見ると、頭だけ残して全身の毛を刈り取られた猫みたいな異様なバランスで、ちょっと笑えます。



カッコいい事はカッコいい。ただし横から見た場合。真正面から見るのは禁止。



後ろから見てもカッコいい。ただしコーチビルダーが車体を手がけたため、これがD8-120型の標準形体という訳ではなく、それこそ無数の形体があったようです。


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