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![]() さて、では地獄の(記事を書く筆者にとって)トヨタ博物館探訪記を続けましょう。でもって改めて写真を整理しながら確認すると、ここの収蔵品は、日常的な車、我々にとっての車という点からして素晴らしいと言う他に無い品揃えだなあ、と思いました。派手なスポーツカー、レーシングカーなどもあるにはあるのですが、それ以上に大衆が親しみ、愛した車がズラリと並ぶのです。ステキな博物館だと思います。 ただ解説の貧弱さ、不正確さがやや残念と言えば残念。その辺りを補うの意味でもこの記事を続けて参りましょう。ただし前回お断りした通り、T型フォード前、大量生産時代の前の時代のごく限られた富裕層の道楽のようだった時代の車は、特に興味深い物以外、無視します。私もよう知らんし、皆さんも興味が無いでしょうし、自動車と言う文化の中ではほぼ無意味ですし。そして何より、そんな物まで取り上げていたら、未来永劫、この連載が終わらないのよ。 ![]() さて、前回までは見学順序を間違えていたため、1930年代前後の車を中心に見る事になりましたが、ここからは順路に従って(二階のエスカレーターを降りて左回り)、ある程度まで時系列に沿って見てゆきます。 よって最初に登場するのは当然これ、自動車の始祖鳥、初代ガソリンエンジン車、ベンツ パテントモトールヴァーグン(Benz patent motorwagen/ベンツ式特許発動車)。 1886年11月に特許を取得後、一般販売が行われた世界初の市販車です(ただし総生産台数は30台以下と見られている)。ちなみに954cc単気筒、しかも水冷、水平配置というかなり変わったエンジンを積んでいました。三輪車ですがかなり大きく、結構乗り降りは大変だったと思われます。あと、ハンドルとアクセル、クラッチ、ブレーキを兼ねるレバーはあるんですが、変速機は見当たらず。エンジンの回転はプーリーとベルト(恐らく革製?)でディファレンシャルギアとチェーンを介して車輪を動かします(後述)。 車体後部のケツから車輪のようなものが飛び出してますがこれはスペアタイヤではなく(そもそも空気式のタイヤでは無い)、エンジンの弾み車(フライホイール)。エンジンは水平に置かれているので、回し車も横に寝ているのです。弾み車は円運動のエネルギー貯蔵庫として働いてエンジン回転を安定させるものですが、初期のベンツ車ではこれを手で回して始動に利用していました。すなわち点火キーはもちろん、始動用のクランクレバー等も無いのです。この点、宮崎駿監督版の名探偵ホームズを見たことがある人は、ああ、あれねと思い出していただけるかと。 ![]() 筆者の知る限り現存する車両は無く、これも模造車、レプリカです。三輪になったのはコスト、技術の面からの妥協でしょう。これ以降の車両は四輪になってますから。 当然、これを造ったベンツさんが後にダイムラー・ベンツ、現メルセデス・ベンツグループを立ち上げる事になるわけです(1926年にダイムラー社と合弁。ちなみにメルセデス・ベンツは社名では無く本来はブランド名だった。トヨタのレクサス、日産のダットサン、ゼネラルモーターズのキャデラックのようなもの)。 ![]() 後の自動車の基礎となる多くの技術が既に搭載されていたのですが、中でも差動装置、いわゆるデフ(Differential gear/ディファレンシャルギア)が既に搭載されていたのが驚きです。車軸の中央にあるのがそれで、エンジンからの動力がベルトでここに伝えられて走ります。 陸上競技のトラックと同じ理由で、カーブで外側を回る車輪の方がより長い距離を走る、すなわちより多く回転するため、同じエンジン回転数のまま動力が伝わると、どちらかが空転、あるいは固定されてしまい滑かに走れません(最悪エンストになる)。それを調整する歯車装置がデフなんですが、初代自動車から既に搭載されてたんですね。原理的に無動力の馬車には必要ない物ですから、よく考え付いたな。ただしどうも調べて見るとガソリンエンジン車の前に発明されていた蒸気自動車で既に採用例があったみたいです。それでもこの時代からよくぞ、と思いますけどね。 でもって全国3億6千万人夕撃旅団読者の皆さんは気がついたと思うんですが、これドライブシャフトではなく、左右独立したチェーン駆動で車輪を動かしているんですよ。すなわちホンダのS500&600&800と同じ(ただし800は1966年5月のモデルチェンジまで)。Sシリーズのあれは空間が無いための苦肉の策だったんですが、ある意味では先祖帰りでもあったのか。まあ、あっちは剥き出しではなくケースに入ってますけどね。 |