ダットサン 11型フェートン。ダット自動車製造社による1932(昭和7)年製の国産車で、現存する日本の量産自動車としては恐らく最古のものだと思います。おそらくイギリス製のオースチン 7をコピーした車でしょう。約150台が製造されたとされます。

ダットサンは後に日産のブランド名となりますが、そもそもは、明治期に設立された自動車製造会社、快進社によるブランドでした。おそらく日本で最初の自動車を造ったのがこの会社で、当初はトラックを、後にこの11型のような小型車の製造に乗り出しています。後にトラック部門が石川島自動車製造所と合併して自動車工業社(現いすゞ自動車)に、小型車部門が実用自動車製造社が合併して、日産になりました。このためダットサンのブランドは日産が引き継いだのです。

ちなみに当初はダットというブランドで(創業関係者三人の頭文字と脱兎にかけた名前)トラックを造っていました。その小型車部門なので、ダットの子という意味でDATSONとしたというカタカナ英語な命名なんですが、SONは損みたいでイヤだという日本語センスの改名でDAT「SUN」という英語としてはほぼ意味不明なブランドになりました。最初から日本語にしとけよ、と思いますがね。



エンジン排気量495ccの小型車なんですが、どうもこの時代は500cc以下の小型車は無免許で運転できたため、そういった層を対象にした車のようです。後に1933(昭和8)年の自動車取締令改正では750ccまで無免許運転の許可が拡大されたため、この11型は速攻で製造中止、エンジンが750ccの12型に移行したようです。ただしエンジン換装後も11型のまま販売されていた、という話もあり詳細は不明。



フォード 40B型(Model 40)。1934年に製造されたV8エンジン搭載フォードです。例によってこの博物館の解説は適当なので、ちょっと詳しく見て置きましょう。

1932年に従来のA型フォードを置き換える形で新世代のフォード車の販売が開始されました。いわゆるB型フォードですが、始祖T型以来の「大衆向け量産車」としてのB型だけではなく、より高級な18型が加わってのモデルチェンジとなっていました。両者の外観には大きな差は無く、違いはエンジンにありました。

この時、すでに販売でGMに押されつつあったフォードが起死回生の策として投入したのが、アメリカ車の神話にして原点とも言える強力なV8エンジンで、これを搭載したのが18型だったのです。これが当たり、一時的ではありますがフォードの経営は持ち直す事になります(ちなみにフォード社としては高級ブランドのリンカーンがV8エンジンを搭載していたが32年式V8エンジンとは別物。フォードが32年式V8エンジン搭載した後はV12エンジンに移行する)。

その18型の1934年型がこの40型でした(この時代のアメリカ車は細かい変更で毎年型番が変わる上に法則性が無いのでややこしい)。フロント回り等がのデザインが細かく変更されていますが、基本的には18型と同じ車のようです。



伝説のV8の誕生と共に生産された1932〜34年のV8エンジン搭載フォード車は、派手な改造クラッシック車、ホッドロッド改造の土台としても人気がある他、そのパワフルさから犯罪者にも人気だったとされます(笑)。有名なボニー&クライドが射殺されたときに乗っていたのもフォードの18型でした。最後の銃撃戦でハチの巣にされたのですが、その状態でネヴァタ州の博物館に展示されていたはず(ついでながら二人はフォード社に対し、速くて助かっている、と手紙を送ったとされるが本当に二人が書いたものかは確認されていない)。古き良きアメリカ車の一つでしょう。


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