オールズモビル(Oldsmobile) Fシリーズ。なんの説明もありませんでしたが、おそらくツーリングセダン型でしょう。さらに現地の解説板ではシリーズFという名称になってましたが、なんで?

これも右ハンドルで、例のGM大阪工場でノックダウン生産されたものらしいです。1937年製との事なので、GMの日本撤退直前の車という事になります。オールズモビルはGMの中では中級、大衆車の上、高級車の下、といった位置づけになるブランドです。



キャデラックよりは下の位置づけなのがオールズモビルなんですが、日本的な感覚からすると、結構高級感ありますね。



でもって今回の見学でその存在を初めて知ったビックリどっきりメカ、チェコスロバキアのタトラ(Tatra)T87。個人的にタトラと聞くと軍用トラックなどの車両を連想するんですが、乗用車も造っていたんですね。

博物館の解説板には1948年と書かれてましたが恐らくこれ展示車両の生産年度で、87型は戦前、1936年から既に生産開始されていました。すなわちトヨ「ダ」のAA型と同じ年であり、クライスラーのエアフローと比べても僅か二年後、プジョーの402の一年後、フォードのゼファーに対して一年早い段階でこのスタイルの車を発売していたのです。すげえな、タトラ。



横から見てもカッコいい。

ちなみにタトラはこれ以前に77型という流線形車体の車を1934年から発売していました。これも開発中に風洞実験をやっていたため、タトラ社などは世界初の流線型で空力的な車体設計の市販車としていますが、同年1月から発売開始されたクライスラーのエアフローの方が僅かに先でした。それでもこの時代に、チェコスロバキアという国でそこまでの車が開発されていたのは驚きです。

ついにでタトラ社は市販車ではかなり早くからV8エンジンを搭載していたのも特徴でした。あまりに有名なフォードのV8エンジンの生産開始が1932年ですから、遅れる事わずかに2年。ほんとのこの時代のチェコスロバキアで何があったの、という先進性なのです。



後ろから見てもカッコいい。ウルトラ警備隊でもやっていけるデザインだと思います。背中のヒレはタトラ社によると「背面の空気を左右に分割するのに役立つ」との事ですが、何言ってるんだ君はという感じで、まあこれはカッコだけの飾りでしょう。

ちなみに車体のデザインを担当したPaul Jaray(ハンガリー系なので発音は判らん。ポウー・ヤライといった感じか)は、ツェッペリン飛行船製造社(Luftschiffbau)で飛行船の設計をしていた人物らしいので、その辺りから出て来たオサレでしょうか。



でもってこの車の車体後部には空気取入れ口があります。戦後、1950年前後のアメ車で流行った、飛行機っぽい意味のない飾り付けかな、と思ったんですがちゃんと奥まで続いておりました。リアエンジンですが過給器は積んでおらず、吸気用ではなく冷却用のようです。ラジエターが見当たらない事からわかるように空冷で、空冷、リアエンジンで流麗なデザインとくればポルシェ911(とその原型356)ですが、恐らく強い影響を与えているでしょう。ちなみにポルシェの車はその名に反して、フェルデナンド・ポルシェは全く設計に関わってません(戦後はフランス人を強制労働させたとして二年近く刑務所に入れられており、以後は健康を害してしまう。ちなみに厳密には戦犯ではなくフランスの個人的な恨みによる投獄だった)。

38(t)戦車と言い、第二次世界大戦直前のチェコスロバキアの工業力というのは思った以上に凄いものがあるなあ、と思いまする。


NEXT