さて、では見学を続行しますザンス。ちなみに今回は最初から言い訳的な展開を見せます。展示車両は全て撮影して来たので、当初、全部の展示品を紹介しようと思ってたんですが、前回の記事でそれやったら死ぬ(精神的&物理的)と判明、ちょっと手を抜かせてもらう事にしました。

とりあえず極初期の自動車の多くは正直よう知らんし、興味も無いので一部を除き省略します。書いていてもツマラナイんだもの。不満がある人は自分でトヨタ博物館へレツゴー(読者への丸投げ)。

といった所で、今回の記事入って行きましょう。



右ハンドルのフォードA型(Ford model A)が展示されていました。イギリス工場生産分かと思ったら日本の横浜工場製だそうな(横浜市子安にあった。現在はマツダのR&Dセンターになっている)。1929年製の車両だとか。日本製フォード、現存していたのね。

フォードの脅威の量産車、T型(後述)から二代目のA型までに関しては以前に説明したのでそっちを参照してください(手抜きでは無い。地球環境に考慮したサステナブルな記事執筆である)。この車、本国では1927年12月に発売開始となったのですが、A型と命名されたのはどうも1928年になってからのようです。この辺りの事情はよく判らず。

フォードは1925年から日本に本格進出、横浜工場でのノックダウン生産を開始しており、30年代に入ると部品からの国内製造も予定していました。ただし1936(昭和11)年には日本資本以外の自動車会社を締め出す自動車製造事業法が成立、フォードとGMは日本から完全撤退してしまいます。このため日本はフォード式の大量生産の洗礼を受けずに終わってしまうのです(ドイツ、ソ連はそれを吸収していた。そしてイギリスはフォード王国だった。おかげで第二次世界大戦中、大量生産による兵器開発に対応でできた)。



大衆車ですからオサレなオープンカーではなく、主としてコスト&重量削減のため天井は開閉式の幌になっていました。T型の成功があまりに偉大なのでその陰に隠れがちですが、このA型も最終的に485万台生産されているんですよね。ただし徐々にGMに押され、第二次世界大戦が始まる頃にはフォードの経営はかなり傾いておりました。戦争による特需が無ければ倒産していた可能性はゼロでは無かったでしょう。



戦後のオート三輪かと思ったら、大戦前、1937(昭和12)年に発売されたダイハツのSA-6型だとか。ただしこの時代は発動機製造社が正式な社名でダイハツはブランド名だったようです。

戦前からあったのねオート三輪。ちなみにエンジンは667ccで、思ったより本格的。ただしどうも変速機、ギアが見当たらない。変速機なしなの?あとキックを含めて始動のための装置も見えない。押しがけ専用?さすがにクラッチはあると思うんだけど…。チェーンも見えなかったのでシャフトドライブかなあ。


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