ヤツはアメリカ自動車メーカー御三家の中でも最弱、のクライスラーによる高級ブランド、デ・ソトのエアフロー(Airflow)。ちなみにこの博物館、アメリカ車をメーカー名ではなくブランド名だけで紹介してるんですが、日本人には判りにくいので両者併記した方が親切だと思いますよ。そもそもこのエアフロー、最初はクライスラーブランドで売り出されていた車ですし。

1934年にクライスラー社が発売を開始した、恐らく量産車として初めて滑かな流線形車体(Streamliner)を採用した高級車。ほとんど無名に近い存在ですが、近代的な乗用車設計の基礎を打ち立てたと見ていい歴史的な車です。それまで車体の外に剥き出して置かれていたヘッドランプをボディに埋め込んだ最初の車でもあると思います。ただし時代を先取りしすぎて売れず僅か3年後の1937年には販売中止になってしまいます。その1937年にデビューしたリンカーン ゼファー(後述)が大ヒットした事を考えると、もう少し粘れば売れ始めた気もしますが…。



今見ても美しい形状だと思います。横から見るとトヨダAA型が強い影響を受けているのが判るかと。ついでにこの時代の車の特徴である4ドアは観音開の法則はこの車にも当てはまります。

当然、時速100q以下の走行が主となる当時の自動車にそこまで空力抵抗のシビアさは無いのですが、それもありだなあ、と思う。ただし開発に当たって風洞実験までやっており、必ずもカッコだけではない、恐らく初めて空力効果を真剣に検討して設計された車でもあったと思われます。戦後のアメリカの高級車にまで見られる後輪カバーを最初に採用したのもこの車の可能性高し。これも空力的にはほぼ無意味で、純粋にオサレ目的。整備性を悪くするだけだと個人的には思っているんですけどね。

そしてこの辺りから自動車の技術革新の中心地は徐々にヨーロッパからアメリカに移って行くのです。航空機の技術的な先進性の移行がNACAが本格的に活動を開始した1930年以降だった事を考えると、各種乗り物の最先端をアメリカが走り始めた時代だったとも言えます。例外はジェットエンジンと宇宙まで行く弾道ミサイルとロケットくらいのものでしょう。あと戦車か。



お次はフォード車の高級ブランド、リンカンーンのゼファー(Zephyr )HB 1937年型。

クライスラーのエアフローに続き、車体の設計に動流線形形状を持ち込み大ヒットした高級車。極めて革新的な形状ながら売れに売れました。その結果、それまで大衆車メーカーだったフォードに高級車のラインナップを持ち込む事に成功します(この車以前のリンカーン社は独立した自動車会社だったがフォードに買収されその部局(Division)、ブランドとなった)。今見ても美しいな、と思うスタイルです。ちなみにフォード社の主張だと独自にこの形状に辿り着いたみたいな事言ってますが、どう考えてもクライスラーのエアフローの影響はあったでしょう。

ついでながらこの解説板もちょっと誤解を産むもので、これが最初のゼファーみたいな書き方でしたが違います。ゼファーそのものは1936年発売で、その37年型がこの車両。当時は毎年新型が発表されていたのですが、営業対策の小幅変更であり形状等は36年型と大きくは異なりませんけどね。

ちなみにこれが発表された1936年のニューヨーク・モーターショーをポルシェ博士は訪れており、その設計に影響を受けたと言われています。実際、このヘッドランプの取り付け方とかは良く似ています。



このあっさりした運転席のダッシュボードも好き。窓枠等も丁寧に曲線で構成されており、当時の量産技術でよく造ったなと思う。さすがは量産技術の鬼、フォード。この技術力が第二次世界大戦期のアメリカを世界の兵器工場とする原動力となったわけです。



後ろから見るとフォルクスワーゲンTyp1が強い影響を受けているのがよく判ります。カッコいいな。後輪カバーは恐らくこれもエアフローからの影響でしょう。ちなみに後部のドアはトランクではなくスペアタイヤの収納部らしいです。



でもってその横に密かにあった鉄道模型。全国一億五千六百万夕撃旅団読者のみなさんなら、シカゴの博物館で見たゼファーじゃん、と気がつかれたと思います。これは厳密には流線形では無いですが、滑かな曲線がこの時代の機械技術全般の流行だったのだなというのは判るかと。

ちなみに鉄道のゼファーはは1934年のデビューなので、世に出たのはこっちが先。フォードの地元に近いシカゴからロッキー山脈の麓まで走っていた車両なので、リンカーンのゼファーの命名にも何らかの影響を与えている可能性はあります。ちなみにディーゼル車で時速180qの営業運転をやっていたので、こっちの滑かな形状はカッコだけでなく実用的な意味がありました。


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