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![]() そして本日の感涙2台目、KdF ワーゲン。言うまでも無く戦後の西ドイツと言うか世界の自動車のアイコンとなったフォルクス・ワーゲンTyp(ティープ)1、通称「ビートル」の元になった車です。まあ実質的にtyp1とほぼ同じ車です。設計はキチガイ戦車博士ことフェルディナンド・ポルシェ博士。すなわち超巨大戦車マウスとパパは同じ。当然、実車を見るのは初めて。 ここにあるのは聞いてましたが、実際に見るといやはや大感動ですぜ。ナチス党による安価で誰でも買える国産車生産計画、いわゆるフォルクスワーゲン(Volkswagens)計画によって設計された自動車ですが、第二次世界大戦開戦により、630台前後しか生産されずに終わりました。ただし開戦後も細々と生産は続いており、この車は1942年の製造で、現存するKdFワーゲンとしては最古に近い車両らしいです。 当時の白黒写真だと確かに真っ黒で、群青色か茶色かその辺りだと思ってたんですが、普通に真っ黒だったのか、これ。 ![]() 名称のKdfはナチス配下のドイツ労働戦線(DAF)が組織した国民の肉体的、精神的に健全な休暇開発(スポーツ、旅行、コンサートなど)を目的とする「歓喜の力団(Kraft durch Freude)」の事。ただしKdfは団体は販売窓口となっただけで製造には絡んでいません(一種のディーラーであり製造会社ではない)。 そもそもは国民自動車(Folks worgen)計画に基づき、1933年にヒトラーがポルシェ博士に設計を依頼し開発された車です(ただし実際の発注契約はドイツ帝国自動車産業協会(Reichsverbandes der Deutschen Automobilindustrie)による)。要求仕様は、大人2人と子供3人が乗れる事、変速機は4速である事、全長240cm、全幅125cm、重量650s、エンジンは985cc、燃費14.29km/リットル(100kmを7リットル)という内容でした。子供3人がナチスの考える理想的なアーリア人民族系家族だったんでしょうね。 試作車は1936年の段階で完成、さらに先行試作車30台が1937年に生産されます(これは上記の630台に含まれないらしい)。ただし量産化には手こずり、本格的な生産開始は1939年、すなわち戦争大好きヒトラーによる開戦の年となってしまいました。この結果、その工場はキューベ・ルワーゲン(VW Typ 82)などの軍用車生産に切り替えられちゃったため、極めて少数の生産に終わったわけです。ちなみにドイツ軍の軍馬車両キューベル・ワーゲンはこのフォルクス・ワーゲンの設計を一部流用しています。戦後、工場に残っていたそのパーツはそのままフォルクスワーゲンTyp1に流用された、との話もあり。 ![]() この車を買うには戦前からKdfが運営していた貯金口座への積み立てが必要でした。ところが多くの国民がお金を払い込んだにも拘わらず(30万人近いとされる)、戦争によって全く納車されなかったため、戦後に裁判ざたになっていたりします(1961年に和解。結局受け取れず新車価格の15%割引券(600マルク相当)か100マルクの和解金を貰うかになった。事実上の敗訴だろう)。 この車両も丸っこいのですが金属節約が主目的ではなく、おそらくオシャレ優先のデザインです。この時代、既にアメリカ車は流線形ブームに入りつつあり、Kdf ワーゲンもその影響を受けているのです。そもそも、そこまで小さい車でも無いですしね。 ![]() カッコいいなあ。バットマンのバットカー、これが一番似合う気がするんですが。馬鹿みたいなジェットエンジンとか積んでいないでさ。 ![]() 内装。ダッシュボードの左右に大きな通風孔のような物が見えます。換気&暖房用のものかと思ったんですが、よく見ると奥は塞がっている?小物入れ?それとも開閉が可能なもの? |