駅前の地図より。この一帯が桶狭間の前哨戦となった土地となります。今川方が織田家の喉元に突き付けた二つの城の内、南側に位置して桶狭間戦の重心点の一つとなった大高城があったのがこの一帯。戦の後半には当時、今川軍の配下にあった徳川家康が入る城です。そして、その城を囲むために織田軍が造った二つの砦、鷲津砦と丸根砦もまたこの付近にありました。

この地図だと駅左手の丸い山に大高城があり、東海道線を挟んで右側、2番の位置に鷲津砦が、その右下、4の数字が潰れてしまっていますが、5番の数字の右手に丸根砦がありました。今回の目的地はその二つの砦です。ついでに大高城後の直ぐ横に海岸寺と言うお寺がある事から判るように、東海道本線一帯は当時遠浅の海で、満潮時には完全に水没してました。

あと秋葉神社がこの一帯にある事を初めて知る。徳川家康は秋葉原の名の元になった秋葉神社と妙に縁があるんですよね。日本初のアキバ系武将でしょう。



駅の出口は西側、目指す砦は東側なので線路を潜って、この高台の下へ。一帯は完全に名古屋郊外の住宅街に飲み込まれてしまっていました。この辺りを信長が高速で駆け抜け、その未来を自ら切り開いた、と住人の皆さんは知ってるのかなあ、と思う。



私が今居る東海道本線の線路付近は当時、少なくとも満潮時は海の底だったはず。よって当然のごとく、ここからはかなり急な登り坂。ああ、昨日からの筋肉痛と岐阜城の戦いでヘロヘロな私にこの試練。まあがんばるか、当時の信長さんに比べりゃ、命が懸っているわけでもないし。といった感じで今回の本編はここまで。


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