そこにあった岐阜城の看板。むかしは稲葉山城という表記、単に旧稲葉山城でいいんじゃないかと思うんですが。

ついでに、その英語表記変じゃない?Castle associated with Nobunaga& Dosan、あるいはNobunaga&Dosan's castle じゃない?何で of なの?それだとドラキュラ城とか、呪いの城とかそういったニュアンスにならんかね。機械翻訳でもそんな訳は出てこないと思うけど…。あとカッコ内の文章の最初の文字、fが小文字なのなんで?



案内板によると、この一帯の一部の石垣は当時のものが現存しているのだとか。信長さんの居住区一帯だけは石垣があったようです。ただし天守閣周りの石垣は明らかに現代のもので、恐らくこれは話が別。



この天守閣から続く階段部は当時からあった経路だと思われます。ただしかなり拡大されてる可能性が高いですが。



そこから 金華山の山頂を振り返る。アンテナ類が見えているのは旧気象庁の観測所で、その横が山頂。この観測場は既に廃止されており、間もなく解体が始まるらしいです。

城があったころは一帯の樹木は全て伐採されていたと思われるので確かに絶景だったでしょう。後の安土城は京都に近い地の利があり、さらに水上で守りの固い城ですが、あれ絶対風光明媚という点も立地選択の一因だったろうな、と思ってます。城のライトアップイベントとかまでやっちゃう人ですから、信長さん。

フロイスの記述を信じるなら織田時代、信長は麓の政庁ではなくこの一帯に居住していたようです。麓からだと高低差300m近くありますから、どんなに急いでも移動に30分以上必要で、配下の皆さんの勤務は大変だったろうな、と思います。次の勤務地、安土城もまた山の上ですが、こちらは高低差で150m前後、通勤環境はかなり改善された、と言っていいでしょう。まあ、それでも結構キツイですけどね。


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