さて、ではロープウェイに乗って岐阜城跡&復元天守閣に向かいましょう。このロープウェイ、眺めは悪くないんですが、金華山の 北西面と言う微妙な場所にあるので、見える景色は名古屋、岐阜市街方面でも関ケ原方面でもなく、正直、どこ見てるのかよく判らん、という景色になります。正直に言ってしまえば、正面を流れる長良川くらいしか見るものがありませぬ。



山頂駅から。まあそれでも快晴の日に登るとなかなか爽快でした。
 


そこから復元天守閣に向かうんですが、尾根筋の道で約250mの距離、そしてそこそこ標高差があります。まあ、かつての山岳要塞の概要を知るにはちょうどいい散策路とも言えますが、前日の激闘で筋肉痛ぎみの筆者にとっては結構キツイ状況でした。



途中で見かけた看板。最近はホントに日本中でイノシシ注意中ですね。意外に危険なので、こういった注意喚起は必要なのでしょう。



岐阜城は信長閣下が安土に引っ越した後、本能寺の変までは嫡男である信忠の本拠地であり、その死後は三男の信孝が入りました。この信孝は秀吉と対立関係にあったので最低でも二度は包囲されており、一部はこの時に焼かれたと思われます。さらに関ケ原の合戦時には豊臣側が入って落城しており、この時も建物が焼かれたはずです。そして最終的に江戸期に廃城になり、残っていた建物は全て移築されてしまいました。よって当時の遺構は何も残って居ません。まだ本格的な石垣による築城が行われる前の城だったようで、石垣ですらほとんど無いのです。

よって一帯にある建物は全て「現代人が夢見る戦国ファンタジー」なんですが、これもそういったものの一つ、黒門。この手の門が出てくるのは江戸期から、私の知る範囲では寺社仏閣の要人専用門としてなんですが、なんの資料を基にお城の入り口にしちゃったんでしょうね。

NEXT