大興奮で走り寄る。現地の案内板によると金鳳山正法寺大仏殿なる建物で、幕末期の1804(文化元)年ごろに建てらてた大仏殿との事。そんなものが岐阜にあるなんて、初めて知ったぞ。そして近くで見るとやはり予算が無かった中で造られたであろう細い柱と支柱だらけの構造で、よくぞこんな建物が残っていてくれたものだと感動。

高価な建材、太い柱を使いまくった江戸期の建物、東大寺の大仏殿に代表される巨大建造物はいくつか現存しますが、こんな安っぽい(褒めてます)巨大建造物が現存したのか。知らんかった。なぜ岐阜はこれをもっと宣伝しないのか、全く理解できぬ。いやはや、見れて大感動です。



壁がキレイすぎる事、柱に痛みがほぼ見られない事から、おそらく過去に何度も大規模改修を受けており、往時の姿を残しているとは言い難いですが、この安っぽい(褒めてます)細い柱で、これだけの巨大構図物(全高23.6m)を屋根瓦載せて耐えられる強度で造ってしまった事に驚くべきでしょう。構造強度を計算式で求めず、勘と経験だけでここまでの事ができてしまうのか、とちょっと驚く。当時の名所絵図等を見ると、江戸の町にはこういった安っぽい巨大建物が結構あっただろうと個人的には思っております。いやまさか現物を生きて見れる日が来るとは思っていませんでした。すげえ。



さっそく中に入って見ます。ちなみに拝観料は200円と良心的。堂内の如来像、通称で岐阜大仏と呼ばれているそうな。1832(天保3)年開眼供養が行われたもので高さ13.7mの巨大な像です。

この大仏さん、ちょっと特殊な構造で奈良や鎌倉の金属製大仏とは異なり、木と竹とで型を造り、その上から粘土で固め、最後に金箔を貼って造られたもの。さらに言うなら、この大仏殿を支える大黒柱(大真柱と言うらしい)、直径57pのイチョウの柱を内部に取り込んでいる、すなわち大仏殿を支える支柱がそのままこの木と粘土の大仏さんを支える背骨になっています。こんな構造、初めて見ました。

ちなみに正面に見える小さな如来像は平安期の物と言われる仏像だそうで、大仏さんと並んで県の重要文化財だとか。ちなみに大仏殿は市の重要文化財ですが、それ以上に素晴らしい価値を持つ建物だと個人的には思っております。



そういった構造のためか奥行きが薄く、やや歪んだ立体構造の大仏さんになっています。周辺の天井の板は上から大仏さんを見る中二階構造の床ですが、現在は立ち入り禁止で入れませぬ。建物の中をみると細かい支柱が多く、やはり構造強度の確保に苦労しているな、という印象。これが江戸期の街中で多く見れたであろう、一般的な巨大構造物なのでしょう。奈良の大仏殿のような物は本来、例外中の例外なんですよ。



そこに展示されていた骨組み状態の模型。よくぞこれだけの構造をこの細い柱で支えているな、と感動するものでした。


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