途中、崖の上にあった建物は大乗教教会と書かれており、帰宅後に確認したら戦後に設立された法華経系の宗教法人の施設でした。「ほの字」の団体には近づかない事にしておりますので、ちょっと興味がありましたが迂回。



岐阜城がある金華山一帯の麓は古い歴史があるようで、歩いていて品がある一帯でした。岐阜城は徳川幕府によって廃城とされたのですが、一帯は尾張藩の直轄地として進入禁止の禁制の山となったため、未だに緑豊かな地区でもあるようです。ステキ。



歩く事20分、再度天守閣が見えて来ましたが、まだ遠いなあ。



と思いながら歩いていたら、なんか巨大な木造建築が見えてくる。最初の印象は、おおおおおおおおお、室町期以降の絵巻や名所絵図で見かける細い柱で構築された貧乏くさい巨大建造物じゃん、でした。初めて見た。実在したんだ、こういった予算が限られた中で造られたであろう大規模建造物。


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