そこから見た集落の中心部、バス停方向。バスの向こうには高時川が流れ、先に見た道はこの川沿いに山を抜け、琵琶湖岸まで達する経路になっています。集落は狭く、一帯は山が迫っており、やはりここを抑えてしまえば柳ケ瀬と柴田の本拠地、北ノ庄を結ぶ北国街道の封鎖は容易だったはず。何ら記録は残って居ませんが、羽柴はここを取った、少なくとも取りに来たと思うんですよね。 その高時川に架かる橋の上からバス停方向を見る。この集落には関所と砦を兼ねた構造物の遺構が残っていると聞いており、バスの後ろに見える小高い山がそれだろうと現地では思い込んで居りました。が、実際はもっと左手、稼働沿いの小さな丘がそれで最後まで写真を撮らずに終わっております…。いやでも、この小高いと土地、砦跡のような気がするけどなあ。 道は細く、古くからのある集落なのだろうなあ、と思う。ちなみに左手の尾根筋の端が、今回見逃した関所&砦跡、このすぐ右手が本陣跡でした。ちなみに一帯は海抜500m前後在ります。 現在の国道の横を細い道が並行して走っており、おそらくこちらが本来の街道でしょう。 そこにあった神社。ちょっと見て見たかったのですが時間切れ。乗って来たバスは20分ほどの停車で折り返してしまうので、これを逃すと次のバスまで1時間以上待つ事になってしまうのです。では撤収としましょう。 中河内では曇っていたのですが、椿坂峠を超えるとまた晴れてました。 低山とはいえ、山向こうとこちらで結構天気が変わるのね。といった感じで、今回の本編はここまで。 |