なぜか天守閣の前に佐々木小次郎 対 宮本武蔵の銅像が建っていました。まあ北九州市だし小倉城が落成した後の出来事ではあるんですが、なんというか造形の技術、服飾及び剣術の型の考証、あらゆる面でこんなモノをよくぞ引き取ったな、という作品でした。なんだこれ。



さて、では天守閣に入ってみましょうか。



ちなみに入り口の家紋、これ細川家のじゃん。 30年しか居なかったのに。その後、200年以上小笠原家の居城だったのに。



中は昭和の鉄筋コンクリート天守閣らしいもの。ただ展示内容は正直、イマイチでした。



その中でちょっと気になった江戸末期ごろのものと思われる錦絵。例の常盤橋の東西を街道らしい大通りがブチ抜いてます。となると江戸時代後期の小倉城ってお堀と塀の内側、すなわち城内を街道がブチ抜いてたの?そんな城があるのかと驚いて帰宅後いろいろ調べてみたのですがよく判らず。

ただし明治期、1900年の地図を見る限り、このような街の構造にはなっておらず、ウソじゃないか、という気も。当時は現地なんて行ったこともない人が結構、名所の錦絵描いてましたし。

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